つながる

群馬県に仕事ででかけた。

早朝の埼京線の車内は比較的空いていて、駅のホームで乗車するために並んでいた人たちは次々に座席に座っていく。
私もシートに腰を落ち着けて、ふっと斜め前に視線を移すと入り口付近に少年が立っている。
彼が立っている前の座席には誰も座っていない。
「座らないのかしら?」と思ったとき、少年が握っている白いステッキが目に入った。

見えてないんだ…
 どうしようかと迷う。彼に席が空いていることを伝えようかしら?もしかしたら立っているほうが好きかな・・・・?いや、そんなはずないよな・・・。

 声をかけた。「ここ空いてますよ。おかけになりますか?」
 「すみません。」少年は私に手を伸ばしてきた。手を取って席に案内する。見ず知らずの人の手に触れたことに、ドキッとする。 
 彼は座ってしばらくするとすーすーと寝息を立てながら眠ってしまった。
 少し切なくなった。目の見えない彼は、たとえばすごく疲れているときでも、指定席を予約するか、介助の人がいない限り、電車で座るという選択肢は無いんだ。
 東大教授で、全盲ろうの福島智さんの夫人光成沢美さんの著書「指先で紡ぐ愛」を読んだことがある。
その中で印象的だった文章がある。光成さんは目も見えず、耳も聞こえない福島さんと話をするとき、彼の手をとって指文字でコミュニケーションをする。ある日、彼女は福島さんと行き違いからけんかしてしまう。彼女は怒りから、彼の手を振り払ってしまった。そのとき彼は、言ったと言う。手を離すという行為は全盲聾のぼくにとっては、「もう、あなたとは、話をしたくない、と部屋から出ていくのと同じだと。
 手を触れることは、私はあなたと同じこの世界にいます。私もあなたと私はつながっているよ。と伝えられる方法なのだと思う。

私たちは目が見え、耳が聞こえて、たくさんの人に接したり、話をすることで、孤独じゃないように感じている。でも、目が見えなければ、耳が聞こえなければ、それが、錯覚なことに気づくだろう。

この前、家族以外で誰かの手に触れたのっていつだろう?
少年に触れた手が、とても心地が良かった。
 彼の手を取って席に案内し、自分が親切なことをしたような気になったけれど、受け取ったのは私のほうだ。
 そして、受け取ったのは、「私は誰かとつながっている。」という実感。