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サーカスは楽し哀し

 東京ドームJCBホールでやっている、「ニクーリンサーカス」に行ってきました。娘の名前は「りん」といいます。ぽっちゃり体型なので、家では「にくりん」と呼ばれている彼女。 その娘と同じ名前のサーカスということで、思わずチケットを購入してしまいました。
 当日は子ども連れでいっぱい。私が小さいころ行ったサーカスのようなテントではなくて、立派なホールです。客席もちゃんとスローブになっていて、みんながちゃんと見れます。
 空中ブランコも、ボールを使った曲芸も、ハイテクが使われていて、サーカスも進化しているんだわ~とちょっとした衝撃を受けました。
 でも、出てくる演目を見てみると、熊のダンスや、綱渡り、ピエロなど、古典的なシナリオは変わっていないのです。そして、やはり綱渡りでは、はらはらしたり、ピエロの客席を巻き込んだ遊びに加わったり、空中ブランコでは、目をつぶってしまったり・・・。
 ハイテクを使って、新しい要素が加わってもサーカスって、どこか切ないです。それは、体を張って、怪我の危険などを背負いながらの芸だからでしょうか。そして、もう2度とこの人たちとは会うことが無いかもしれないという見る側の思いがそうさせるのかもしれません。
 サーカス、私も、来ているお客さんたちも、楽しんでいるのは、子どもに見せようと連れてきている親たちの方でした。
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エレベーターで

娘を保育ママさんのおうちまで迎えにいく5時半。いつものとおりベビーカーを転がしながら、地下鉄にのって、駅をおり、エレベーターにのりました。最近できたばかりの15人ぐらい乗れる大箱のエレベータは満員です。改札階について、エレベーターの扉があくと、家路を急ぐ人たちが、早足で降りてきます。
 一番奥にいた私は、扉が閉じないように「開」ボタンをおさなくちゃと思い、入り口付近のボタンに手を伸ばしました。すると小さな頭に触れました。
 小学校1年生か2年生ぐらいのちっちゃな女の子でした。
 一番先頭にいるその女の子は、他の人たちが降りていく間、「開」ボタンを押し続けていました。
私と目が合うと、「どうぞ」というような素振りをします。「ありがとう。」と言うと、ペコリとお辞儀をしました。
 あわただしい夕方のラッシュの駅で、「家に早く帰って、ご飯作って、娘をお風呂入れて・・・、やりのこした仕事をかたづけて・・・。」と、せわしなく頭を巡らせていた私は、ちょっと恥ずかしくなりました。
 なんだか、いつも急いでたり、時間に追われてたり。人に譲ったり、待ったりすることをしてないかもなぁ。
 少女が改札を抜けるのを目で追いながら、しばし、足を止めて深呼吸。ニコッと笑ってみました。
 保育ママさんのおうちまでもう少しです。
 今日は、ゆったり母ちゃんモードで迎えに行こう。

つながる


 群馬県に仕事ででかけた。早朝の埼京線の車内は比較的空いていて、駅のホームで乗車するために並んでいた人たちは次々に座席に座っていく。私もシートに腰を落ち着けて、ふっと斜め前に視線を移すと入り口付近に少年が立っている。彼が立っている前の座席には誰も座っていない。「座らないのかしら?」と思ったとき、少年が握っている白いステッキが目に入った。見えてないんだ。
 どうしようかと迷う。彼に席が空いていることを伝えようかしら?もしかしたら立っているほうが好きかな・・・・?いや、そんなはずないよな・・・。
 声をかけた。「ここ空いてますよ。おかけになりますか?」
 「すみません。」少年は私に手を伸ばしてきた。手を取って席に案内する。見ず知らずの人の手に触れたことに、ドキッとする。 
 彼は座ってしばらくするとすーすーと寝息を立てながら眠ってしまった。
 少し切なくなった。目の見えない彼は、たとえばすごく疲れているときでも、指定席を予約するか、介助の人がいない限り、電車で座るという選択肢は無いんだ。
 東大助教授で、全盲ろうの福島智さんの夫人光成沢美さんの著書「指先で紡ぐ愛」を読んだことがある。その中で印象的だった文章がある。光成さんは目も見えず、耳も聞こえない福島さんと話をするとき、彼の手をとって指文字でコミュニケーションをする。ある日、彼女は福島さんと行き違いからけんかしてしまう。彼女は怒りから、彼の手を振り払ってしまった。そのとき彼は、言ったと言う。手を離すという行為は全盲聾のぼくにとっては、「もう、あなたとは、話をしたくない、と部屋から出ていくのと同じだと。
 手を触れることは、私はあなたと同じこの世界にいます。あなたと私はつながっているよ。と伝えられる方法なのだと思う。
私たちは目が見え、耳が聞こえて、たくさんの人に接したり、話をすることで、孤独じゃないように感じている。でも、目が見えなければ、耳が聞こえなければ、それが、錯覚なことに気づくだろう。
この前、家族以外で誰かの手に触れたのっていつだろう?少年に触れた手がとても、心地が良かった。
 私は彼の手を取って席に案内し、自分が親切なことをしたような気になったけれど、受け取ったのは私のほうだ。
 受け取ったのは、「私は誰かとつながっている。」という実感だ。

 

思うちから

    今年も桜が咲きました。不思議に思うのは、桜だけはどうして、東京が一番先に咲くのかしら?ということです。もっと暖かい関西などで先に咲いても良さそうなものなのに、桜前線はいつも東京から、広がって行きます。
 桜は一度冷え込まないと咲かないらしく、その寒暖の差が東京で最初に咲く理由だと言われています。

 私の実家の近くには姫路城があり、桜のシーズンになるとソメイヨシノがいっせいに開いて見事です。
その中でも、お堀の周りに植わっていて、城門に近く、一目に触れる機会の多い桜の木は、まるで、見られることを楽しむかのように、豪華に花をつけ、枝ぶりも大きく広がって、それは華麗な様子です。
 きっと、桜は、自分を見て「美しいね~。」とか、「素敵ね。」と感嘆する私たちの言葉をちゃんと受け取って、喜んで花をつけているんじゃないかと思うのです。
 植物に、言葉をかけながら育てると、よく成長するというのは、科学的な実験でも実証されていることですし、桜もきっと、「ほめると育つ」子供のようなものかもしれません。

 東京で、日本のどの町より早く桜が開花するのだって同じことかもしれません。東京に住む2000万の人たちが、「春よ早くこーい。桜早く咲かないかな~」と思う。その力が、桜をさせるとしたら・・・・。これはすごいですよ。
 奇跡のようなことって、実はこんな思うちからが表現されたひとつの形だとは考えられないでしょうか。
 東京に住む人たちの 「思うちから」を、ぜひ、いろんないいことに使ってみたいものです。
 

手染めのバッグ

   先日、キルトを扱っている友人のお店に行ったときに、一目で気に入った布がありました。明け方の森を思わせるような美しい布でした。尋ねてみると、彼女が自分で買い付けてきたサウスダゴダの手染めの布だとのこと。  自分の近くにこの布をおいておきたくて、バッグを作ってもらうことにしました。
 子連れだと荷物が多くなるし、仕事がら、材料の見本など持ち歩くこともあって、大振りなものが欲しかったところです。
そして、仕上がったのが、写真のバッグ。 想像以上に素敵な仕上がりになって、大満足です。世界に1個しかないバッグ。自分が本当に気に入った、質のいいものを身につけていると、とても楽しいし、気持ちが癒されてリラックスできる気がしますよね。
 このバッグを作ってくれた友人は、キルトショップのオーナーであると同時に、キルターととして活躍する才能のあるアーティスト松波聖子さん。
     現在西小山にあるショップ「COTTON CONNECTION]が、3月下旬に、広くなって自由が丘に移転するそうです。販売だけでなく、キルト教室もやっているので、自分の小物のほか、子どものグッズを作ってみたいという方にもおすすめです。覗いてみてくださいね。

鳩と娘と

    娘は、動物をとても怖がる。私自身は田んぼに囲まれた田舎で、かえるの声をききながら育ったので、動物が怖いという感覚は無くて、当然、自分の娘も動物や植物に抵抗なく触れるように育つとばかり思っていた。
 ところが、道で犬に会うと、後ずさりして、凍りつく、テラス席で食事をすると寄ってきた鳩におびえて、泣き喚く。
 最初のうちは、「まだ幼いから怯えるんだわ。そのうち、興味をもってくるよね。」なんて思っていた。でも・・・・。2歳になった最近、生き物嫌いに拍車がかかって、鳩や犬だけではすまなくて、かまきりやアリンコも怖くて、泣いてしまう。
 鳩を見るたびに、「ウワァ~ァ~」と泣き叫ぶ娘に、「鳩、ほら見て、怖くないよ。かわいよ。ね~。」と言い聞かせても、一向に効き目がない。
 そんなある日、いつも預けている保育ママさんからの連絡ノートに書いてあった文章に目が釘付けになった。

   『公園で鳩に会うと、いつも泣くのが、かわいそうなので、「怖いって言っていいんだよ。怖いって言ってごらん」と言うと、大きな声で「ハト~、こわいよ~。」と言って、その後は全く泣かなくなりました。』 
 目からウロコが落ちた感じだった。
次の日娘と二人ででかけたとき、鳩が寄ってきたので、先生の真似をすることにした。「ハト、怖いっていっていいよ。そしてね。怖いからあっち行って、て自分で言ってごらん。」
娘は「ハト、こわいの!あっちいって!」と大声で叫んで、ちっとも泣かなかった。

   怖いという感情を持つことは、とても不安な心もちになる。でも、その感情を「コワイ」って言葉で表現して、「あっちいって」と言う、怖いことへの対処方法を知ったことで、娘の中の不安が解消したんだと思う。

  人になんと言われても、怖いものは、怖いんだよね。そんな当たり前のことを忘れて、「動物や植物を好きな子どものほうに育ったほうがいい」という私の価値観を娘に押し付けていたことに、気づく。
 今日も、娘は動物怖くて、きらい。でも、「ハト、あっちいって~」と言いながら、笑ってハトの後ろを追いかけている。
娘から、そして、娘をとりまく人たちから、教えてもらうこと、気づかせてもらうことが、とてもたくさんある。

マトリックス・リローデッドで治す?

マトリックスレボルーションズ。品川のIMAXシアターで鑑賞してきました。マトリックス・リローデッドどころかそれ以前のも見ていないのに・・・・チャックノリスの「地獄のヒーロー」を見ずに「地獄のヒーロー3」を語るようなもの。
当然、ストーリーがいまいちわからない。でも私なりの解釈をしてみたところ、この物語の中に「癌の発病から完全寛解までの治癒プロセス」を見つけました。

キアヌ・リーブズ扮する主人公「ネオ」が都市「ザイオン」を守るために、人工知能のマシン軍団のエージェント「スミス」と戦うのですが、ネオとはスミスと正と負の関係。ネオの別の側面だという。
ネオ自身でもあるスミスが、(自己細胞の突然変異化)クローンをいっぱい作って増え、(癌の驚異的な増殖)愛又は希望というプラスの意識の場に飲み込まれることで破滅する(心の状態の変化による癌の退縮・消滅)ストーリー?!
この文脈で読むと、一生懸命戦っているザイオンの兵士たちは、人体の免疫システムの戦士たち。酸とか酵素とかを武器にばい菌とたたかう白血球やキラーT細胞に見えてくる。EPUという兵器は敵・味方ともの武器にダメージを与えるという意味では、抗がん剤の意味だろう。
そして、「オラクル」というおばさん占い師が最後に語る「危険無しに変化はあり得ない」という言葉は人間が病気にかかる意味を表しているのかも。「病気を通して変容は行われる」=「変容するために人は病気にかかる」シャーマンのセリフのようだ。あ、オラクルってシャーマンだっけ?
映画館から出て、胸に手を当ててみたら心臓は、トゥクトゥク鳴ってちゃんと動いていて、心臓の細胞ってすごいなんて思ってしまいました。
病院で上映してはどうでしょう。
自分の体の細胞のひとつひとつが愛しくなると思うんだけど・・・?

REM

「R.E.M」、80年にジョージア州アセンズで結成された。ポストパンクのアメリカでインディ・レーベルからデビューし、以来「オルタナティブロックの先駆者」、「世界最高のロックバンド」といわれながら、どこかにマイナーな香りのする不思議な存在のロックバンド。
 3月16日、ワールドツアーの東京公演が武道館でありました。
ステージはいたってシンプルなものでした。10数本の蛍光灯が宙吊りにされ、曲が変わるごとに、蛍光灯の色や光かたが変わる、言わば光だけの演出です。
 曲は90年代のアルバムや最新のアルバム「アラウンド・ザ・サン」から、演奏され、その中には、ブッシュ政権に対する批判を込めた曲2曲も含まれました。
 カリスマというのは、こういうものなのかもしれないと思ったのは、ボーカルのマイケル・スタイプと聴衆との関係性でした。武道館には1万人の人がいたにもかかわらず、「マイケル・スタイプ 対 聴衆みんな」という図式ではなく、「マイケル・スタイプ 対 自分」という「1対1」の関係を強く感じさせるのです。ツアー先の控え室には、彼専用の瞑想部屋が作られているとかいないとか、ミステリアスな逸話の多いマイケル・スタイプですが、さもありなんと思わせる強烈な個性でした。
デビューから24年たっても、いまだに、大衆に消費されず、新鮮さを失わないこのバンドの持つ緊張感。春の夜に漂う沈丁花の香りとともに酔いしれたのでした。

六義園の紅葉

 

今年は、例年より暖かい秋。とはいっても、季節は知らず知らずに移っていきます。東京の駒込「六義園」の紅葉も秋の深まりを知らせてくれます。
 11月19日からはじまったライトアップ。夜の紅葉も素敵です。でも私のお勧めは、たそがれ時の4時半から5時の30分。薄暗くなってきた庭に、ライトがともると太陽の下の紅葉と違って、情緒のある色に変身します。
 この「六義園」もともとは柳沢吉保のお屋敷だったものが明治時代に三菱の創設者岩崎弥太郎氏の所有となったものです。そういえば上野にある「旧岩崎邸」も岩崎弥太郎氏の建てた洋館だし、バラで有名な「旧古河邸」も古河財閥の息子古河虎之氏と岩崎氏の娘の新居として使われていたし、かつては富がひとところに集中していたんですね。
 ライトアップは本当は28日で終わり。でも紅葉の見頃にあわせて、12月4日5日の週末は夜9時まで特別にやっているとか・・・。
 私が行ったときは、夕方から夜にかけて、会社帰りのサラリーマンの他、10代のカップルなどが来ていました。都内で気軽に美しい紅葉が見れる絶好のデートスポットなのかも。

夏のおわりに

 トロトロとまどろむような眠りから覚めると夫の顔があった。「気分はどう?」続いて、母と夫の両親がかわるがわるベットの脇にやってきて、心配そうな顔でのぞきこむ。気分は悪くなかった。静脈麻酔の効き目の切れ際の宙に浮かぶような感じが気持ち良かった。家族のひとりひとりと話をしながら、「終わったんだな」という実感が強くなっていった。

 前日の夜中、救急治療の診察室で、「赤ちゃんの心音が見えない」と当直の医師が遠慮がちに言ったのだった。翌日、もう一度主治医に診察してもらうことをすすめられ、改めて訪れたものの、診断はやはり同じだった。
 私の場合は「稽留流産」といい、亡くなった赤ちゃんがまだ子宮の中で留まっている状態だった。主治医の話では、3ヶ月までの流産は妊婦の10人に1人は起こるという。
 「染色体の異常や、卵子の状態が悪いなど、育つことのできない赤ちゃんの自然淘汰として起こるものなんです。母体側の問題ではないから、仕方がないことなんですよ。」私の気持ちの負担を減らすように、主治医は、淡々と話す。11週目だった。
 よくあることだとわかっていても、本人は、そのときはそうは思えない。夫も私もその夜はさすがに眠れなかった。
 「先週、駒場公園を2時間ぐらい歩いた。あれが悪かったんじゃないか?」 「つわりのとき、やきそばと寿司ばっかり食べてたからなぁ。栄養失調になったのかも・・・?」滑稽なほど、細かいことにこだわって、自分を責める気持ちが止まらない。
 
 電話の受信音が鳴り、ファックスが届いた。祖父からだった。
「今、お母さんから報せを聞きました。残念でしたね。折角大事に大事にして来たのに。死生は人間のはからいの外。神のはからい。体を大事にしてください。またその中授かる。授けてくださる。悲しみをこらえてひたすら大事に、それのみ祈ります。 祖父」
 私の祖父は89歳。長寿をうらやましがられるけれど、永く生きるのはしんどいことも多い。2人の息子、1人の娘。長男は20年前にガンで他界していた。次男である私の父は祖父の跡を取って家業を継いでいたが、9年前に亡くなった。
 祖父がこの20年をどんな風に過ごしたか、短い文章の中に見えた気がした。「諦める」しかないんだ。自分を責めたら赤ちゃんがかわいそうだ。すこしづつ気持ちが凪いでいく。
 
入院してからの1週間、関西から駆けつけてくれた、両方の父母のおかげで、憂いなく眠るように過ごした。
 3人が帰って、私と夫は2人に戻った。3ヶ月前も2人の生活だった。何も変わらない。ベッドの上に寝転んで、マンションの庭に立つ大きな木が揺れるのを眺める。何も変わらないはずなのに、何か違っていた。
 命を続けていくこと。「生きている」状態はあたりまえではないんだ。赤ちゃんにとっても、私にとっても・・・・。こんな形で、わかりたくなかったのになぁ・・・でも、赤ちゃんが教えてくれたのか・・・。
 木の葉が少し早い秋の風に揺れている。
 夫が横で、「もう、無邪気な去年の夏には戻れないね」と言って笑った。
 短い今年の夏が終わった。

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