カテゴリー別アーカイブ: 出産・子供

袖振り合うも多生の縁

 ,ある日の午後、恵比寿から、御徒町に向かう地下鉄に乗った。時間は3時ごろ。乗客はまばらで、夫と娘と3人で並んで座った。しばらくすると娘が「おなかがすいた~。」と言い出した。
 あいにく、何も食べるものをもっていなかったので、「御徒町に着くまで待ってね」と言い聞かせた。
 あいにく、何も食べるものをもっていなかったので、「御徒町に着くまで待ってね」と言い聞かせた。
 眠いし、おなかがすくしで不機嫌な娘をひざに乗せて、気をそらせていると、隣に座っていた女性が、ガザガザと持っていた紙袋を開けたかと思うと中から、きつね色のおいしそうなラスクを二つ取り出して、こちらへ差し出した。
 「 カステラのラスクよ。御徒町まで30分はかかるから、これがあれば、お腹が持つわね。」
 娘は目を輝かせて、ラスクを受け取って、「ありがと~」とうれしそうに食べ始めた。

 私と夫がお礼を言うと、「私もこの子より少し大きいぐらいの孫がいるのよ。」と話を始めた。今日は、友達の家に遊びに行った帰りだとのことだった。
 地下鉄を降りるまでの時間を私とこの女性は、話をしながら過ごした。 子供の成長のことや、この方の息子さんの話などなど。
 娘は満足して、ひざの上で頭を垂れて眠っている。
 御徒町で私と彼女は、「では、さようなら。」「どうぞ、お気をつけて。」と別れた。
 30分ほどのご縁。
 懐がほろ暖かいような気分。

 昔の人は、きっとこうやって、通りすがりの人や、お店で隣り合わせた人とよく話をしたんだろうなぁと想像できた。 
 かつては、人間関係が限られていたから、近所の人や、見ず知らずの人ともよく話をしたんだろう。私も、娘を持ったことで、友人と会う時間も減って、個人的な人間関係は限られたし、行動範囲も狭くなった。そのかわり、電車で隣り合わせた人と話そうなんて思わなかったのに、今は娘といると、見ず知らずの人とよく話をする。 制限され、狭められる
ことで、「広がる」部分ってあるんだな。
 「袖振り合うも多生の縁」 この言葉の意味が少し、わかった感じがする。
 
 

出産をむかえて

 10月5日の深夜、陣痛が始まったとき、私が最初にしたのはおむすびをむすぶことでした。前夜、夫の母が作ってくれた栗おこわ。栗は足腰を強くするので、「なんだか力がつきそう」と思いながら温めなおし、暗いキッチンで作ったおむすび4つ。お産では「米の飯」が一番がんばりがきくいいます。夜が明けてから病院にいくと、陣痛は弱まってしまったものの、出血が多いのでこのまま入院してください。という医師の指示がありました。
 私が入院したのは家から近い都内の病院。自然分娩が中心でベテランの助産師が多く、妊娠中の検診時も医師の診察の前後に毎回40分ほど助産師がカウンセリングをしてくれます。また粉ミルクを使わない母乳育児や新生児室のない母子同室も気に入って選んだのでした。
 7日の朝、目覚めると7時ぐらいから15分おきに陣痛がはじまりました。夫と夫の母がやってきて、陣痛室へ移ります。この部屋には出産をスムーズに迎えるためのさまざまな小道具と助産師さんのケアがそろっています。特に私に効いたのは、「テニスボール」。陣痛が強くなってくると、いきみたい衝動にかられます。助産師さんが「陣痛の波が来たら奥さんのお尻に強くあてがって、いきみを逃がしてください」と夫に手渡していきました。意外なことにこれがとても有効!陣痛が来るたびに夫が「リラックス~」といながらお尻にテニスボールをあてがう姿は、とっても滑稽です。つづいてアロママッサージ、ひのき風呂が終わると赤ちゃんの心音を聞いていた助産師さんが「次、スクワットいきましょう」といいます。廊下に出て、お見舞い客が行きかう中を「うー」とか「ひー」とかいいながら公衆電話の台につかまってヒンズースクワットをくりかえします。こんな過酷な筋トレは中学のときテニス部の部活以来。
 このスクワットが効いたのか、すぐ分娩室へ移って10分。3120gで女の子が誕生しました。トータル11時間ほどのお産。思ったほど苦しい思いをせず、また何より、自分がとりたい姿勢で、好きな人と、リラックスして産めたことがうれしいことでした。
 立ち会ってくれた夫の母が言います。「私の時のお産と全然違う」と。いきみをうまくコントロールするアドバイスもなく、分娩は足を固定する分娩台だったといいます。私の母たちがお産を迎えたのは、家でのお産から病院へのお産へ急速に切り替わっていった時代でした。そしてそれは、医師主導の出産に変わっていった時期でもあります。赤ちゃんを産んだとき胸にひろがったのは、女性はどんな時代でも、どんな状況でもそれを受け入れて子供を生んできたのだという思いでした。戦争中だろうと、分娩台の上だろうと、ラマーズ呼吸法があろうとなかろうと・・・。私は今という時代にお産を迎えて、自分の納得のいく形で、心地よいと思う人たちに囲まれて出産ができました。それは、今につながる母たちのおかげなのだと思います。私を生んでくれた母親、その母親を生んだおばあちゃん、そしてその母親と、たくましく赤ちゃんを産んで育ててきたすべての女性に対する敬意で胸がいっぱいになりました。
 ふと気づくと、生まれたての我が子は裸にバスタオルをまとった姿で、私の胸の上に乗せられ、もう1時間以上も力強くおっぱいをすすっています。「この食い意地はだれかに似ている・・・」
 陣痛をこらえながら、キッチンでおむすびを結んでいた自分の姿がよぎります。
 食べないと力が出ないですもんね。
 分娩台の上から義母に向かって頼みます。「お母さん、今からおにぎり買って来てください。」

裸は罪??

 毎日暑い・・・。最近はスポーツジムのプールに週2回通っている。それだけだは物足りなくて、家から徒歩5分の区民プールにも顔を出す。ある日、区民プールで泳ぎ終えてシャワールームで体を洗っていた。仕方がないことだけど、公営のプールは塩素がきつい。
 水着を脱いでゴシゴシ洗っていたら、60代ぐらいの水中ウォーキングの集まりのおばさまのひとりが私の隣に立った。「ここは脱いじゃいけないのよ!」私は不思議に思って「何でですか?塩素きついから、ちゃんと落とさないと肌に、悪いですよ」と答える。「それは、あなただけじゃないわ。私たちだって同じよ。」
「そしたら、あなたも脱いで洗われたほうがいいんじゃないですか?」「お母さんに教わったの?そんな非常識なこと?人前で脱いで。」
「でも、ここは、女子更衣室でしょ。ここでしか、脱いでちゃんと洗う場所はないですよ。」どうも、私が水着を脱いで洗浄していることが、このおばさまの気にいらないらしい。私の答えを聞いて、プリプリしながら行ってしまった。
 受付に上がると区の職員に呼び止められた。内容はこうだ。「他の子どもさんもいる前で裸になられては困ります。シャワールームでも前をちょっと隠すとか・・・それに裸で歩き回られも困ります。」なに言ってるんだ??全く理解できない。率直に疑問を伝えると、いかにも、とにかくこの場をなんとかしのぎたいという様子の職員は、「とにかくお願いします」という。後ろにさっきのおばさまが立っていた。
 とりあえず、帰宅して、ゆっくり整理する。めんどうくさいし、できればことを荒らげて区の職員とゴタゴタするのも嫌だ。いいじゃん、言うこときいておけば、と頭は考えるのに、体が納得しなくて、胸が苦しい。
 この手の「常識・非常識」は人それぞれだから、おばさまと私の個人的な意見の食い違いはしょうがない。『裸で歩き回った』と言う誇張もおばさんの誹謗だからいいや。でも、他の女児がいる前で裸で、体を洗って何がいけないのだ。女の体って、幼い子どもに見せられないほど罪深かったり、醜いのか?
 シャワールームで娘の水着を脱がせて洗ってあげているお母さんたちが頭に浮かぶ。私は今、お腹に8ヶ月の赤ちゃんがいる。病院の診断では女の子だということだ。その子を連れてプールに行くようになったらどうするだろう。おっぱいがふくらんだり、陰毛が生えてきたら、「あなたの体は見苦しいから、もう、水着は脱いじゃだめよ」と教えるのか?シャワールームでは、前をちょっと隠せって、エッチなこと教えると思うと不快だ。

 受話器を取った。「区民の声」苦情窓口電話する。子どもの前で脱いではいけないことと、洗浄スペースで、きちんと洗ってなぜいけないのか。2点、職員の態度に納得ができない旨を伝える。プールと区から後日返答するとのことだった。区の返答はともかく、すっきりした。納得できないことは納得できないのだから。
 今までずっと、仕事をしてればけっこう幸せで、母親になることって、あまり自分にとっては現実的なことじゃなかった。でも、本能なのかな?意識しないのに、考え方が少しづつ母親になってくる。自分がどう思うかという視点しかなかったところに、母親としてどう考えるかという視点が新たに生まれてくる。 見えなかったことがいろいろ見えるってことでもあるんだろう。
 今回の事件。エネルギーも使ったし、不快な感情とも付き合ったけど、自分の中に生まれた視点を強く意識するきっかけになったのかもしれない。こうして私はどんどん強くなり、どんどんうるさい奴になっていくんだろう。強さとうるささが、今回のおばさまのような他者を受け入れない独善にならないようでいたいと思う。

1234