カテゴリー別アーカイブ: 食にまつわること

手ぬき晩ごはん

 よく生徒さんに、「やっぱり、普段から毎日手をかけて、きちんとした食事作ってるんですよね?」と言われるのですが・・・。実はそんなことないのです。料理を作るのは好きです。でも、決して手の込んだものを作っているわけではなく、日々、「いかにシンプルに簡単に、おいしいものを作るか」に執念を燃やしているのです。 
 今日は、帰宅したのが、7時近かったので、スーパーですぐ料理できるものを買って、手ぬき晩ごはんです。
 メニューは「やくぜんスパイスのキーマカレー」玉ねぎ、セロリ、茹で大豆など冷蔵庫にあった野菜を刻んで、炒め、ひき肉を加えて、やくぜんスパイス、酒、醤油で味付けます。茹で大豆がないときは、木綿豆腐を崩して加えます。豆腐は水切りする時間がないときは、フライパンに入れて、長めに炒めて水分を飛ばしてしまいます。手前みそですが、やくぜんスパイスは、カレー粉と違って辛みがないので、3歳の娘と同じものを食べられます。
 それから「刻みめかぶとトマトのポン酢あえ」刻みめかぶが今が旬。スーパーで買ってきて、刻んだミニトマトと一緒にポン酢であえ、ナッツをあしらい、紫蘇オイルをかけます。ポン酢は、先日、レモンの絞り汁と昆布醤油で作りおきしたもの。ポン酢は柑橘果汁だけで作るとすぐ悪くなってしまうので、お酢を混ぜて作るとかなり日持ちしますよ。 
 あとは、「アオサとジャコ、いりゴマのお吸い物」乾燥アオサに熱湯を注いで、冷凍しておいたジャコ、すりごまを加え、うすくち醤油、胡麻油を加えてかき混ぜるだけ。
 「な~んだ。こんなもの食べてるの?」と言われそう・・・。
 自分がオイリーなものや、こってりしたごちそうをしっかり食べると、疲れてしまうので、食べて疲れないように野菜、豆、海藻、雑穀は手を抜きながらも使うようにしています。
 帰宅後30分で完成。今日は、週末なので、当然(!)ビールも登場。こんな日々の積み重ねの中より、講習生のみなさんにご紹介できるようなレシピのいくつかが出来あがります。
みなさん、がっかりしちゃったかしら??
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シラスで3種弁当

 先日、三崎の方へ、ドライブに出かけた。地場の魚屋には、新鮮な魚がいっぱい。やはりおいしそうだったのが、しらす。これはシラス丼を作らなければと買って帰ってきた。  
 その日の夕食はシラス丼で決定。でも、まだ食べきれないほどたくさん残っている。それからしばらく娘と夫のお弁当はシラス続きだった。
シラスは、味付け次第で和食でも洋食にでもアレンジ可能なので、3日続いても飽きずにしっかりたべてくれた。まず、翌日のお弁当は、シンプルに「シラス丼」
シラス丼
その翌日は、「シラスとキャベツ・九条葱のスパゲッティ」
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そのまた翌日は、「シラス・ひじき・ごまのふりかけご飯」
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500gで600円のシラス満喫しました。

映画「いのちの食べかた」

 ニコラウス・ゲインハルター監督の映画「いのちの食べかた」を見た。この映画は、私たちが普段食べている肉や魚、野菜果物などがどんな風に育てられ、作られているかを撮ったドキュメンタリー映画だ。
   インタビューや、BGMなどはまったく無く、パプリカへの農薬散布、牛の飼育と屠殺、、豚の去勢や尻尾きり、ひよこの孵化と養鶏場の風景などが、淡々と美しい映像で綴られていく。
まるで、乗用車が工場で作られるかのように、手際よく、無駄なく、命が食べ物への作りかえられていく。
    映画の中では、鶏は、テントで覆われ、照明をコントロールされた養鶏場の中で育ち、太陽を見ることも、土の中にいるミミズをつつくことも、いたずらをして犬に追い回されることもない。
    牛たちは、自然な交尾ではなく、採取された元気な精子を子宮に移し、人工受精で、病気に強く、美味しい肉質の子牛を産む。屠殺されるときは、電気ショックで気絶している間に、体をさばかれて肉として処理されていく。自分が死んだことに気づかないのかもしれない。
    パプリカは、土ではなく、小さな四角い箱の中で苗つけされ、育つと養分の入った液を流した材木状の物の上で生育する。収穫後、枯れたパプリカの幹は、下の四角い箱からナイフで切り落とすだけで片付けが終わる。
    2時間の映画を見終えて、映画館から出てきたら、体が冷たく、硬くこわばっていた。
よく知っているけれど、なるべくなら見ないで済まそうと思っていたことを目の前に差し出されたような感じだ。
 私の実家では幼い頃、鶏を飼っていた。鶏の雄はとても誇り高い。家では、野良犬などに襲われないように、夜はガラスの温室の中で眠り、朝、目覚めると、温室の中においてあるダンボールの箱の一番高いところに登って、胸をはって高らかに「コケコッコー!!」と朝を告げる。また、自分のスペースを犯されたと感じると猛然と反撃する。よく家で飼っている柴犬が攻撃されて、自分のご飯を鶏に差し出していた姿を思いだす。そんな鶏は、現代にはほとんどいないのだということを、思い知った。

 現代という時代は、「いのち」が「からだ」の全部、「生命」の全部を使って生き切ることが難しいのだなあと思う。
 この映画を見て、罪深いとか、私たちって他の動物のいのちに対して、傍若無人すぎるとか、残酷だとか思うだろう。動物愛護の人たちから見れば、許しがたいかもしれない。自然農法を実践している人たちは、もっと自然に育てられた野菜や果物を食べるべきだと言うだろう。
 私も、映画をみながら、いろんな感情が去来した。いろんな感情が出てきて当然だ。この映画を心穏やかに見ることができる人はいないだろう。
 でも、たぶんこれが現実なのだ。そしてこの現実を見て、翌日、どういう行動をとるかは人それぞれだろう。菜食主義を目指す人、もっと安全な有機農法の食材を選ぶ人、仕方が無いものとして現実を受け入れる人。きっといろいろだ。
ふと思う。これは食べ物に対してだけのことなのかしら?と。私たちが動物や植物に対してしていることは、自分たち自身に対しても同じようなことをしているのではないか?
 私たちの中で、与えられた「からだ」全部を、「いのち」全部使って生き、生命の喜びを享受している人がどれくらいいるだろう。仕事で働いても、「自分自身」の一部を使うことしかできない人がほとんどではないだろうか。
 それだけではなく、他の人の自由を奪い、「いのち」を踏みにじって、生きている人や組織だってある。
私たちの動植物に対しての扱いは、そのまま自分に対しての扱いなのだと思う。
 私たちは、罪深い。他の命を犠牲にして生きている。それを直視する意味でも、この映画は意味があると思う。
私たちは罪深いゆえに、無力なのか?
 そうではないと思う。すべては、自分自身を大事にし、愛することから始まるのではないか。まず、自分を大切に扱おう。そして、自分の家族や友人を自分を大切にするように大切にしよう。
身の回りにいる動物や植物のいのちを大切にすることも、その延長線上にあることだと思う。
他の生き物の「いのち」への深い敬いがあれば、野菜や家畜の「いのち」を育てる環境だって、現代の飼育システムとは違うものになるだろう。そして、食べるために他の命をいただくという行為も、きっと神聖なものであり得るのだと思う。
 心を込めて「いただきます。」
自分も、他の命も大切にする言葉を、今日の夕食からだって始められる。

マニュアル

 私の気分転換のひとつが、喫茶店でのお茶。原稿のアイデアや新しいレシピを考えるとき、喫茶店の窓際の席に座り、お茶を目の前にして、頭の中を空っぽにすると、映像の断片や、原稿のはじめの書き出しのワンフレーズが「するする」という感じで降りてきたりします。特に煮詰まって、何も思い浮かばないときは、必ずお世話になりなす。
 ところが、昨年の10月に娘を出産して以来、喫茶店でくつろぐのが難しくなりました。喫茶店って、お客のみなさん、静かにひとりの時間を楽しんでいます。そこに娘を連れて行って「ワーッ」とか「ふぇーん」とかなってしまったら、はた迷惑きわまりないし・・・。でも、続けている連載の原稿は休めないし・・・。喫茶店に行きたい!
 以来、私が行くようになったのは、家の近くの「エクセシオールカフェ」。適度に、ざわざわしていて、窓も大きくて、ベビーカーも嫌がられません。その上、オフィスビルの中にあるので、朝の10時ぐらいに訪れると、お客もまばらで、心置きなくくつろげます。
 3日おきぐらいに通っていたところ、同じ300円ほどのコーヒーの味が、作る人によって違うのに気づきました。店長らしき男性が淹れたものは、すごく美味しいのです!それ以来、彼が機械の前に立っている日は、「ラッキー!」とうれしくなります。不思議ですよね。この手の店のコーヒーってきちっとマニュアルがあるし、作るところを見ていても、同じ機械で、ほぼ自動といった感じで作られているのに、歴然と美味しさの違いがでるなんて。
 そういえば、レストランで薬膳のコンサルティングの仕事をすると、自分の作る料理に自信を持っている人気店のシェフ達は、レシピを人に見せるのを嫌がりませんでした。「同じレシピを渡しても、私と同じ味は出せないから」と言っていたのを思い出します。
 マニュアル+αの「何か」が美味しさをつかさどっているというわけです。それが、プロの仕事なのかもしれません。 
原稿の締め切りが近づくと、「店長、今日はいるのかな~」と、外からさりげなーくチェックしてお店に入ります。今月もアイデアがちゃんと浮かんでくれるのも、彼のコーヒーのおかげ。彼の仕事に敬意をはらいつつ、自分の仕事をこなしています。

牡蠣のお雑煮

 あけましておめでとうございます。元旦の今日、新聞の見出しに「ひどい年2004年に決別」というセリフがあり、ちょっとびっくりしました。でもホント去年は、ひどい年でした。
 先日の大規模な津波も胸が痛みます。あとの処理の遅れを見ていると、1国の危機管理だけで、何とかできるレベルではなく、アジア圏など広い範囲で協力できるネットワークが必要になってきているのでしょうね。
 新しい2005年は、私も「ネットワーク」をテーマに仕事したいと思っています。
今日はお正月にちなんで、変わり種のお雑煮をご紹介します。忘年会などで疲れた肝臓を癒してくれます。
材料2人分:かつお出汁  300cc  牡蠣    8個    みつば  たっぷりめに
ゆずの皮    2枚    お餅  4個    酒   大さじ1   塩・醤油  適量
作り方
1)牡蠣は、塩で洗う。三つ葉は3センチぐらいの長さに切る。カツオ出汁をつくっておく。
2)お餅を焼き目をつけて焼く。
3)なべにカツオ出汁を入れて火にかけ、沸騰したら、牡蠣と酒を入れる。ひと煮立ちしたら、牡蠣を取り出す(火がとおりすぎないようにするため)
4)残った出汁に塩・薄口醤油で味をつけ、餅を入れて、やわらかくなるまで煮る
5)あたためた器に餅を入れ、牡蠣と三つ葉を乗せ、(4)の汁をかける。ゆずをあしらう

 

 こちらのメニューは、私の先輩、京都在住の枝松喬さんに教えていただきました。かつては喫茶店をされていたので、彼の作るコーヒーや軽食は絶品。現在引退後は、美味しくシンプルな料理を研究していらっしゃいます。雑煮の基本は「海のものと山のもの」が入ることなのだそうです。この雑煮は、基本からはずれていますが、作ってみたら、簡単で美味だったので、紹介させてもらいました。
 いろんな方に協力していただいたり、協力させていただいたりしながら、今年もカラダとココロに効く料理を作っていきたいと思っています。みなさんにとっても、明るい1年となりますように。

魯山人の効果

「ねり方がまずいと、納豆の味が出ない。納豆を器に出して、それになにも加えないで、そのまま、二本の箸(はし)でよくねりまぜる。糸を出せば出すほど納豆は美味くなるのであるから、不精をしないで、また手間を惜しまず、極力ねりかえすべきである。」と納豆を食べ前に計423回かき混ぜることを薦めた、書家・陶芸家にして、美食家 “北大路魯山人”。漫画「美味しんぼ」の海原雄山役のモデルにもなった人。
 このエピソードだけでも、美食への執念が感じられるが。彼は自身が経営する料亭「星岡茶寮」で出す料理の器に満足できず、自分で陶器を造りもてなしたという。

 

 8月から彼の陶磁器の個展がニューオータニ美術館でかかっていたので見に行った。染付け、色絵、磁器から織部、備前まで、全部で90点以上。
織部や備前などの陶器のほうが、磁器の作品より魅力的なものが多いように思った。
 個人的にも、備前や伊賀焼き好きだ。家が備前に近かったせいもあって、作家の窯出しがあると時々訪れては、手塩皿や片口など好きなものを買い足していった。おかげで家の食器の“備前率”はやけに高い。夫は食事のたびに私の食事を「縄文の土器食」と呼ぶ。
 でも、好きなんだもーん。陶器は同じように形づくられた皿でも、窯の温度や置く場所、炎の向きなどで、全く違うものができあがる。そういう炎まかせなところがいい。いつも新鮮な発見があるのだ。
 広くない会場にさんざん粘って1時間半。帰宅して、その日の夜は、家中のお皿大集合!ひとつの料理をいろいろなお皿に盛り変えて違いを楽しんで遊ぶ。
 影響されやすい?そうかもしれない・・・。でも、芸術は凡人の日常を変える力をもつのだ。

誇り高き豚丼

 新宿3丁目の寄席「末広亭」のすぐ近くに豚丼の専門店がある。店の名前と“豚丼”とだけ書かれた看板の周りには白熱灯が点滅している。それだけが目印の地下の店。1年ほど前、深夜にご飯に食べはぐれ、うろうろ歩きまわって偶然見つけ、以来、月に1回ほど通うようになった。
 北海道出身の店主が作る豚丼は不思議な味。豚の脂の濃厚なとろみとコブの効いた独特のタレが口の中で混ざって厚みのある風味を作るのに、飲み込むと何ごともなかったような爽快感がある。
 何日か前、新宿駒劇場近くのライブハウスの帰り、むしょうに豚丼が食べたくなった。20分以上歩いて、店に着いたのは11時半。他にお客はいないようだ。
 「あ。いらっしゃいませ」主人は注文を聞くと、1冊のA4サイズの本を持ってきた。“豚のすべてが分かる本”パラパラとめくると、豚肉の健康効果や美味しそうなレシピがいっぱいだ。その中にただ1件、豚丼の専門店として掲載されたという。主人が指差したページには“豚丼”と書かれた例の看板の写真だけが控えめに写っている。
 「なんで~?顔を載せてもらって住所も入れてもらえばいいのに!!」
カウンターしかない店のスツールの上で私が抗議すると彼は言う。
「この店は地下ですし、合い向かいの店との間口が1.5メートルしかないんです。ここでウェイティングされるとお向かいに迷惑かかりますしね。」
タダで宣伝してもらえるんだからいいじゃない!?・・・そう思いながらいつものように豚丼を口に運んだ。いつものように不思議な味だ。
タレをどうやって作っているのだろう。
「タレは数日がかりで煮るんで、お客さんが多いと足りなくなっちゃうときがあるんです。タレは絶対薄めるわけにいかないから、そんな時は店を閉めます。」
 私はちょっとショックをうけた。倉庫用に作られ、ドア1枚で汚水タンクに隔てられた地下の6畳の店で、羅臼昆布と醤油を独りで何日も煮詰め続ける姿を想像した。
“おてんとさまが見ている”ていう言葉を思い出した。小さい頃、私の役目だった階段と廊下の拭き掃除をごまかすと、言われた言葉。
 この店が、私をこんなに惹きつけるワケ。「正直者が損をする」「言ったもんがち」な世の中で彼の豚丼のタレは誇り高い味がするのだ。1階の客の入りのいい1階のコギレイな場所に出店したいとも思っていない。
 なんといっても彼は、「おてんとうさんに」向かって仕事しているのだから。
彼の豚丼を食べたいと思われた方。末広亭の廻りを注意深く歩いてみてくださいね。きっと見つかるから。でも、イスが古ぼけてるとか、冷房の効きが悪いとか、甘っタレ(?)たことはいわないように!

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