一母親として、薬膳料理家として。

2011.6.7

東日本大震災が起こった11日の翌日12日の最終の新幹線で、私は関西にある実家へ向かっていました。福島原発の建屋が爆発したのをブラウン管で見たとき、子供をできるだけ早く、できるだけ遠くへ逃さないといけない。と思ったからでした。

関西の実家で過ごすうちに、事態はどんどん深刻になっていきました。2号機からの大量の放射能漏れが発表され、20キロ圏内の人たちの避難と30キロ圏内の屋内退避。

このときの避難が30キロ圏内で本当に大丈夫なのかと誰もが思ったことでしょう。特に心配だったのは、福島に住む子供たちです。

子供は放射線に対する感受性が大人よりはるかに高く、0歳児では55歳の、309倍も発ガン率が高まるといわれます。 チェルノブイリでも、放射能汚染の影響による甲状腺がんに苦しんだのは主に子供たちでした。

私がこのブログを作ろうと思ったのは、怒りと親としての責任からです。1年間の被曝限度として法律に定められた1ミリシーベルト/年を超える放射線にさらされた地域に対して「直ちに健康に影響が出るレベルではない」とくり返し、「胃のレントゲンの1/2と同じ」とか「微量の放射線は体にいい」と、意味不明の説明で煙にまこうとする人たち。 補償の対象を広げたくないばかりに、本来なら優先的に退避させなくてはいけない妊婦、乳児、未就学児に何の救済措置をとることもできなかった能無しのお役人に、本当に怒りが抑えられなくなったのでした。

事件以来、東京で土や水や、食べ物や日々、不安を感じながら5歳の娘を育てています。

だれも子供を守ってくれないのなら、自分で子供を守るしかないなと思いました。不安感は拭い去ることはできないけれど、親としてできるだけのことはしてあげなくてはいけないと。

私は中国医学を学び、薬膳の食生活のアドバイスを仕事としています。放射線治療を行っているガン患者の方たちが、食事に気をつけることで、放射線の副作用が軽減するケースも多く見てまいりました。

福島だけでなく、今や日本の各地に汚染が広がっています。放射能から逃げることができないなら、その害をできるだけ取り除く食事を子供たちに食べさせてあげたい、お母さんたちの不安を少しでも軽くする手伝いがしたいと思っています。

一母親として、薬膳料理家として、日々、放射能から子供を守る食生活について書くことがお役に立てたら幸いです。