薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(4)

▽鉄格子と柳の庭園

──中国にはいつ留学したのですか?

大学を卒業して半年たった9月に渡りました。本格的に薬膳を学ぶには、中国語を理解しなくてはいけませんから、まず語学から学ぶことになりました。北京の「語言学院」という学校に通うことになり、寮へ案内されたんですが、1階の部屋でした。窓に太い鉄格子がはめられていたのが、違和感がありました。わがままかもしれませんが、ここには住みたくないと思いました。

ちょうど、北京体育学院(現北京体育大学)に留学中の知人がいて、当日、一緒について来てくれていました。気持ちを彼に伝えたところ、「じゃあ、うちの学校に来ますか?」と言うんですね。

続けて「多分、大丈夫でしょう、一緒に行きましょう」と。あまりにも唐突な申し出だったので、びっくりしながらも、ついて行きました。そこが、とっても素晴らしくて。門の前に川が流れていて、その先に柳の庭園があった。柳が並ぶ小道に足を踏み入れた瞬間、ここに住みたいと思いました。

留学生事務所に行って、彼がこの学校に留学したいということを担当官に伝えてくれました。どきどきしながら待っていると、あっさりと「いいですよ」ってことになって。今ならこういうことはあまりないのかも知れませんが、当時の中国はとてものどかで、大らかでした。現場の人の「好意」で、鉄格子の生活は逃れられたわけです。

──大学の生活はどうでしたか。

入ってから知ったんですが、体育学院というのは、文字通り、新体操や武術のスペシャリストが中国全土から集まる学校でした。オリンピック選手もたくさんいましたし、武術映画の撮影もやったりしていました。ジェット・リーが、遊びに来ていたりして、ここから育っていったカンフー映画の俳優は結構多いそうです。

私にとってよかったのは、たまたまなんですが、語学教師として、一人の中国語の専門家が他大学から通ってきていらしたことです。徐桂梅さんという、30代の女性の先生でした。

徐先生は、北京大学の古代漢語の大家、王力の弟子でした。古代漢語とは、今の中国人が使っている言葉ではなくて、清朝より前の古い時代の言葉です。これはラッキーと思いましたね。なぜなら、薬膳には長い歴史があるため、古い中国語をどうやってマスターしようと思っていたから。そこで、思い切って話しかけて私のやりたいことを告げると、徐先生は「あなたが勉強する意思があるなら、私に時間の余裕がある午後に、古代漢語を教えてあげましょう」と快諾してくれました。

▽マンツーマンで成長

──徐先生のレッスンは?

徐先生は、すごく丁寧に話を聞いてくれる方だった。私の中国語の発音がおかしかったり、文法が間違ったりしていても、まずは全部聞いてから、言葉の使い方を一つ一つ直して下さった。彼女はとても言葉というものを愛していて、中国語の良さを伝えたいという情熱が常にある方だった。そんな先生に学ぶのは、毎日楽しみで仕方なかったです。この先生と出会えたのは、私にとって本当に大きな財産です。

──とても恵まれた環境で勉強できたんですね。

それだけじゃないんです。さらにありがたいことに、語学勉強中から個人的に薬膳を学ぶ機会をいただきました。学校に、これもたまたま中医学の大学院を卒業したスペシャリストの方がいました。この周紅先生が週2回、中国医学を教えてくれることになりました。私1人のためにいろんな人が特別講義をしてくれるというぜいたくな環境。それも授業料など取らずに、厚意でやってくれた。

本来なら語学だけを学んでいる、日本の大学なら”教養”にあたる時期ですが、中国医学の基礎的な考え方や陰陽五行説などの専門的な勉強をかじることができて、本当に幸運だったと思います。体育学院は留学生が少なくて、語学のクラスも3人しかいなかったので、ひたすら中国語を話していた感じです。気づくと3カ月で日常会話を話せるようになってきて、1年もたつと、中国人と自然な会話ができるようになっていました。