薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(1)

食材の可能性を引き出し、おいしくて体にいい薬膳料理を提案する漢方キッチンの阪口珠未代表。これまで制作したレシピは、中華だけではなく、和食やイタリアンなど広く及び、「薬膳は味よりも薬効を優先させた、素人には調理が難しい料理」といったイメージを覆す。漢方キッチンの薬膳はどのように生まれたのか。阪口珠未が、これまでの歩みを振り返った。

▽孤独を救った朝弁当

──薬膳料理を志そうと思ったのはいつごろからですか?

大学生のときですね。

──どのような学生生活を送っていたのでしょうか。

「馬」ですね。高校生のときから乗馬がやりたくて、強い馬術部がある明治大学に進学しました。馬術部では、3年生に自分の馬が決まるまで、1、2年生は、馬にはほとんど乗せてもらえないんですよ。午前6時に馬場に行くと、30分間だけ乗せてもらえて、後は、ひたすら馬の世話をしていました。

──早起きの日々だったんですね。

当時、まかないが付いた学生寮に住んでいました。寮の食堂が開くのは午前6時半なので、私は食堂で朝食を食べていると間に合わないんです。朝食抜きのまま、5時40分ぐらいに食堂の前を通って出掛けようとすると、あるとき、仕込み中のおじさんに見つかって。「どこ、行くんだよ? こんな早くから」と声を掛けられました。

この方が、松浦さんと言う方なんですが、私が「おじさん、実は馬術部の朝練があるんだ」と答えると、「運動するなら朝ご飯を食べないと。元気出ねえじゃないか。これからおじさんが弁当を持たせてやるから、馬場に行くバスの中で食べていきな」と言ってくださいました。

それから毎朝、玉子とトマト、ツナとキュウリが入ったサンドイッチに野菜ジュースを持たせてくれました。朝ご飯を食べると、体がしっかりしてくる。本当にありがたかったです。

松浦のおじさんは別に親でもないのに、私の体のことを心配してくれました。その気持ちがありがたくて、毎日バスの中で「うれしいなあ」と思っていました。ひざの上にサンドイッチがあると、独りぼっちじゃないんだと思うことができて。食べ物に込められた思いというのは、伝わってくるんですよね。

▽料理の脇役たち

──馬術部は楽しかったですか?

わずかな時間しか乗れませんでしたが、馬は素晴らしかったです。一緒に飛んでいるような気分になる。ものすごい早さで駆け抜けて、自分が鳥になったような気分がしました。

馬術部のみんなとは、夏休みに清里でアルバイトをしました。3週間缶詰になって働いて、馬のえさ代を稼ぐわけです。馬術部のOBが経営するガソリンスタンドとレストランに部員が振り分けられるんですが、「君は元気そうだからガソリンスタンドに行って」と言われました。で、夕方にアルバイトを終えて宿舎に戻ると、レストランでも働かせてもらいました。

──レストランで何を学んだのですか。

最初は給仕のようなことをしていたのですが、そのうち「中に入ってみる?」と言われて、料理を手伝うようになりました。そこは野鳥料理のジビエが売りでした。野生のカモをローストするんだけど、食材がスーパーで売ってるものとは、まるで違うの。香りが高く、野生の味がする。40代前半の男性が自分の店を出すための修業としてその店に働きにきていて、その人がいろんなスパイスを取り出して焼いていた。「ハーブを使うと、肉の臭みが消えるんだ」とか丁寧に教えてもらって、そこでスパイスの使い方を学びました。

田舎育ちの私にとって衝撃だったのは、カモにオレンジソースを添えていたこと。肉にフルーツを合わせるなんて! と思いましたが、組み合わせるとこんなに楽しい味になるんだと感動しました。その人はケーキも上手な人でした。フルーツを間に挟んで、上にエディブルフラワーという食べられるお花を盛って、花束みたいないケーキを作る。それがすごくきれいで。

肉の味はもう覚えていませんが、引き立て役の植物たちの存在感、野菜の妙は今も印象に残っています。スパイスにしろ、花にしろ、主役ではないんだけれど、脇役を組み合わせて料理にすることで、おいしくて楽しい雰囲気が演出できるんだなあと思いました。

今思えば、人生で最初に料理の勉強をさせてもらったのが、そのレストランだったんですね。小さいころから料理も食べるのも好きでしたけど、そのときに自分の中で新しい食の世界が見えたように感じました。

「2. 意外な提案」へ続く