薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(10)
▽心の機微の大切さ
──北京の薬膳レストラン「時珍苑」での実習のことを教えて下さい。
週1回、木曜日が多かったですが、学校での授業が終わると、午後3時ぐらいにレストランに入り、まず中国人従業員に日本語を教えました。従業員は18、9歳ぐらいの若い人が多かったですね。全部で10人ほどいまして、彼らに日本語を教えました。
サービススタッフは「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」だけでは、つとまりません。日本人の人としゃべりが続くような日常的なやり取りの言葉や、北京の観光地の日本語での発音などを教えました。言葉だけではなく、日本人は笑みを浮かべながら話をされるとうれしいといった心の機微の大切さも伝えました。
それが終わると、いよいよ厨房に入れてもらえました。薬膳料理の作り方を教えてもらったり、実際に炒めたり、蒸したりするところを間近で見せてもらったりしました。
──どうでしたか。これまで学んできた薬膳理論にはないものがそこにありましたか?
もちろんです。理論も実習もどちらも大切ですけど、現場から得られることは、本当に多い。ホテルのレストランは、お出しする料理の量は半端ではないので、調理部門が細かく分かれていました。炒め物ばかりやっている班があると思えば、「点心師」という、点心をひたすら作る人たちもいて。前菜に取り組み続ける、前菜係も。それぞれがプロで、深いなあと思いました。
日が経つにつれて、うち解けてくると、私も料理に参加させてもらいました。実際に煮込みをさせてもらいましたし、野菜も切りましたよ。
▽スープは煮込むものじゃない?
──学んだ料理の中では何が面白かったですか?
特に興味深かったのは、炒め物とスープ。スープは月替わりで出すんですが、季節ごとに採れる野菜を元にしたスープは絶品でした。すごい太った、王さんという総料理長が漢方スープのプロので、この人から学ぶものは多かったです。
彼はよく言っていました。「漢方スープってのはな、本当は煮込むものじゃないんだよ」と。私が「何で煮込まないんですか?」と尋ねると、うれしそうな顔をして「煮込むとどうなる? 味がかわっちまうよ。」と。
では、どうするか。彼は大きな蒸し器の中に肉とか、野菜、薬を入れて、それにフタをして4時間も5時間も蒸していました。「蒸すんだよ。こうすれば、成分が変質しないで、じっくり汁が出てくるだろ」。そのスープのおいしかったこと! 雑味がない、というのはこういうことなのかと思いました。
──薬膳専門のレストランならでは、なんでしょうね。
そうですね。いわゆる客単価がとても高いお店でしたからね。「時間が掛かるけど、こういう質の高いスープを作れるのが、大きい店のいいところだ」と王さんは話していました。
ところで、王さん自身の薬は、この薬膳スープじゃなかったですよ。ある日「王さんはこのスープを毎日飲んでるの?」と聞いたら、王さんは首を振り「俺の百薬の長はこれだ」と言って、ドンと瓶を出しました。アルコール度数60ぐらいの、すごく強いお酒。毎日、スープを作り終えると、満足そうに飲んでましたね。でも、飲みすぎたら酒も百薬の長にはならないようです。王さんは、出会ってから1年ほどで残念ながら亡くなってしまいました。