薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(7)

▽数値化しない医術

──その後、文部省(当時)の国費留学生としての薬膳研究の日々を送られるわけですね。いわゆる「専門課程」みたいなものでしょうか。当時、阪口さんのほかに、薬膳を学びたいという留学生は多かったのでしょうか?

いいえ、私以外は中国人の学生ばかりで、外国人で薬膳の道に進みたいという人は皆無でした。欧米人も誰もいなかった。日本から留学した人は鍼灸の勉強に来られた方が多かったですね。

私は、北京中医薬大という大学で学びました。中国には、医科系の大学は2種類あります。一つは、日本にあると同じような、西洋医学を教えるところです。もう一つが、中国の伝統医学を勉強するところで、北京中医薬大はこちらの方になります。

大学の学科は中医科という、中医師を育てる学科のほか、鍼灸科、中薬科、養生康復科などがありました。日本で言えば、中医科が医学部、中薬科が薬学部に近いと思いますが、私は、中医師ではなく、薬膳を志したので、養生康復科を中心に講座を取りました。

──「薬膳学科」というのはなかったのですか?

当時の中国には、薬膳学科というのは、ありませんでした。養生康復科の専攻の中に、薬膳を意味する「中医営養学」がありましたので、薬膳を学びたい人は、養生康復科を取ることになります。

ここはリハビリテーション科のようなもので、生活の質を高めることで、人間が本来もつ自然治癒力を強めていくことを目指します。加齢に伴ってどのような生活をしていけばいいのかを学ぶ老人学や、病後の回復をいかに適切に行うかの知識などを教えていました。

中医営養学の講座では、漢方薬の一つ一つの薬効を学び、それを元に体質や季節によって食事を変化させていく考え方を学びました。ただ、そういう技術的なことよりも先に、重要なことを学ぶ必要があったんです。

▽陽と陰

──それは?

中医学の根幹を成す、体や世界、宇宙のとらえ方です。

人の体は陽と陰の要素で成り立っているとか、五行説と呼ばれる、物質の成り立ちについての考え方とかです。この体系が理解できていないと、ある病気について学んでも、薬や食事が臓器にどのように作用するのかが分からない。

陽とは目には見えないけど体を動かす元になる温かい肉体的、精神的なエネルギーを指します。そして、冷たいものや物質的なものを陰とします。これらはどちらが良くて、悪いというものではなくて、自然界のものはすべて、両者を持つとされます。そのバランスがうまく取れているかどうかが大事なわけです。

例えば、男性が陽で女性を陰とするような考えを診断に当てはめることに、抵抗感を持たれる人がいると思います。私も最初は不思議で、わけが分からなかったです。日本の普通の医療とは全然違うんだなと感じました。でも、私が今ここにいるのは、全く新しい価値観を身に着けようとするためなんだと言い聞かせて、勉強を続けました。

中国医学には、西洋医学のような数値化された指標があまりありません。診断する人の感じ方、つまり感性に負う部分が非常に大きいということであり、感覚の鋭さが求められます。次第に、そういう考え方がとても魅力的に思えてきました。例えば、同じ病気でも同じ薬の処方箋をもらったからみんなが同じように回復するとは思えないし、同じカロリーの物を食べたからといって、どんな人でも同じ力が出るわけではない。ある個性の人間が、別の個性を持つ人と接し、その人の体内の宇宙を察していくという哲学は、中国医学の柱なんだと思います。

前の回でお話ししたように、私の場合は、体育大学での語学研修の時期に、たまたまご縁があって周紅先生という専門家にマンツーマンで習う機会があったので、早い時期から、感覚的に体のイメージをつかむことができました。

「8. 6本の指」へ続く