薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(13)
▽学会で発表へ
──薬膳コンテストに出場した錦生とは、その後も付き合いがあったのですか。
彼は日本の酢を気に入っていて、酢を使って新しい薬膳料理を考えたい、と言っていました。それで、私は北京駐在の日本人に錦生の料理を知ってもらいたいと思って、彼を北京に呼んだことがあります。
もう、みんな、大絶賛。企業から社名留学できていた人や駐在員の方は次々に錦生に名刺を出して「日本でレストランを開く気があるなら、まず僕の所に連絡してくれ」と言っていました。実はこの当時、1990年代の前半ですが、北京に住んでいた日本人の多くの人が「薬膳料理は日本人の口に合わない」と言っていたんですよ。
──なぜでしょうか。
北京では、薬膳というと、観光客向けに、アリをまぶしたり、サソリを揚げたりと、奇をてらって味は二の次というものも少なくなかったで、仕方ありません。でも、そんな固定観念を錦生の料理がひっくり返してしまいました。
錦生は職人タイプの人なので、腕はあるんだけど、自分の売り込み方が分からない。それが残念だなと思っていました。ちょうどそのころ、私の通っていた北京中医薬大を中心に薬膳学会が開かれると知りました。私は何としても錦生を世に紹介したいと思って、彼を連れて会場へ行きました。そこで、思いがけず、私まで発表することになってしまいました。
▽日本人初の快挙
──薬膳学会では何があったのですか?
錦生には、トウガンとすっぽん、生薬入りの薬膳スープを作ってもらいました。例のカービング技術でトウガンをくりぬき、中にろうそくを入れて、外からは炎がユラユラとする様が透けて見えるという手の凝りようです。しかも、その上にすっぽん入りの薬膳スープが入っているのです。参加者の反応はすごかったです。
でも、ここは料理コンテストではなく、学会。学術的にどう意味があるのか、薬膳の可能性を発表しなくてはなりません。錦生は、口下手で、うまく説明できない。そこで、大学で薬膳理論を学んでいた私が補うということになってしまいました。
錦生から得たものだけではなく、北京の薬膳レストランで見たもの、病院の臨床実習で学んだこと、病と健康に対する考え方、人の体と地球の自然について、自分の考えをまとめました。
──どのような内容になったのですか。
薬膳とは、人の体質、体調を見て、臨機応変に対応できる料理でなくてはならない。でも、おいしさやその人の口にあうことも大切。そのためには、レストランに中医の医師ではなく、お客さん一人一人にフィットした料理を二つの方向から、提案できるアドバイザーのような存在がいれば、食事の美味しさだけでなく、命をつくる食としての可能性が広がるのではないか…。大急ぎで中国語で論文を書き、中国語で発表する練習をして、臨みました。
反応は思いがけず、良かったです。「日本人が、中国語でこんなにリアルに薬膳の現状を理解しているとは」と驚く専門家の方もいてくださって、何人かの人に「すごく興味深い」と言ってもらえた。講評の際は「薬膳をどう伝えていけばいいのかがよく分かる論文。可能性を感じる」と言っていただきました。
これは、日本人が中国で中国語で発表した、初めての薬膳の学術論文だったと、あとで聞きました。私にとっても、節目になりました。今まで、中医学院の優秀な中国人生徒に囲まれて、劣等意識があったけれど、そのときは、中国人が、初めて「ヨーイースー(意義があっておもしろい)」と認めてくれた。4年かけて、やっとここまできたかと思って、すごくうれしかったです。