薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(18)

▽血流計を置く

──母の薬屋から阪口さんのカジュアル漢方薬店へ。お店にだんだんと自分のカラーが出せるようになりましたか。

「漢方コーヒー」などの効果で地域に知られるようになり、漢方相談をするリピーターのお客さんがすごく増えました。生理不順や不妊、過敏 性腸 症候群、アトピー性皮膚炎、糖尿病、肥満など人によって症状はさまざまです。

あるとき、私が盲腸で町の病院に入院したんですが、手術後に病室に看護師さんが次々にやってきました。私の担当じゃない人もいるので、 おか しいなと思ったら「カウンセリングをしてほしいんです」と。看護師は不規則で、きつい仕事です。生理不順や冷え性、不眠などで悩んでいる 人が多かったです。入院中の私は薬が出せませんから、どんな食事をしたらよいのかをアドバイスしました。

──地域では、かなり知られた存在になってきたわけですね。

ユニークな薬店だったと思います。でも、まだ私のやりたいイメージには到達しない。私は、お客さんに納 得感 が得られる接客するにどうすればいいかを考えました。

そこで、店内に血流計を置くことにしました。これは血管を流れる血液の波を読み取って、血液の状態をグ ラフ にするものです。ビジュアルで効果が分かる指標があるとよいのではと思ったからです。これは効果がありました。数値が見えることで、お客 さんの励みになったようです。

とにかく入りやすく、自分の体にちょっと試してみよう、という場所にしたかった。そして、それが継続す る場 所に。それを考えて、母の跡を継いで必死にやってきました。3年たって、経営にようやく余裕がでてきました。といっても、損をしないでト ントンでやれるという程度ですけどね。でも、母の築いた薬店をつぶさずに済んだので、自分の使命を果たせたかなと思っていました。

▽弟の帰還

──そのころ、何を考えていたのですか。

薬屋での生活を何か物足りないと思うようになっていました。せっかくお薬をのんでも食生活が荒れていたら、効果を打ち消してしまう。い くら カジュアル漢方をやろうとしても、薬屋だけなら限界があると考えるようになりました。

あと、薬屋という仕事をしていると、家業に従事しているという気持ちが強くて、息苦しさを感じることがありました。家長である祖父の命 に従 い、特定郵便局を継いだ母と共に、私は家を守る。それは、自分で決めた道ではあったけれど、余りにも自由がないなあと思いました。

そのころ、大学に通っていた弟が東京から帰ってきました。父が死んだときに家族で話し合って決めたプ ランは、弟が大学を終えたら郵便局を継ぎ、母が薬屋に戻るというものでした。だから、私はそこで解放されて、東京や 大阪に行けるはずだったのです。

弟は、郵便局は継がず、大好きだった車の整備の仕事を選びました。郵便局長になったばかりの母が、また、そこで急にやめるわけにもいか なかった。

──そうすると、予定変更を強いられますね。

そうなんです。でも確かに、まだ若い弟に郵便局の責任を負わせるのはかわいそうだと私も思いましたね。 で、 弟が郵便局を継がないということは、母が引き続き郵便局長を務めることを意味する。慣れない仕事に一生懸命取り組む母の姿を見ていると、「私はここを離れ て、東京に行きたいんだ」とは、とても言い出せませんでした。

今の私が住むところ。田んぼや山に囲まれ、空気のおいしい田舎。父の死後、お墓を守って、一家の尊厳の ため に必死になって闘い続ける母。栄養ドリンクを買いに来るお客さんを待って、ひたすら薬局の椅子に座っている私…。

あーあ、これでは薬屋が長くなっちゃうなあ、自分の人生はどうなってしまうのだろう。せっかく本格的に薬膳を学んできたのに、ここに骨を うず めるのかなー、とため息をつきました。

…薬膳、そうだ薬膳だ。

この兵庫の実家にいながら、薬膳を始めたらどうか、とひらめいたのです。薬屋と薬膳料理、両方をやる道 はな いものか。それができれば、自分がやりたいことがかなうのではないか、と。

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