薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(3)

▽そば屋の"事件"

──漢方や東洋医学といったものとの出会いは?

大学4年生のとき、自分でビジネスをやってみたいと思って、修業のために、イベント会社を経営する女性起業家のところで働かせてもらいました。でも、その人から「あなた、起業家には向いているようだけど、うちみたいなところは合わないみたいね」と言われて、なぜか知り合いの整体師に預けられたんですよ。

杉並区にあるその先生の元には、各界の名士が多くいらっしゃっていましたから、今から考えると、それなりに有名だったんだと思います。でもちょっと怪しげで「昨日、中国大陸にいる気功師と海を越えて気を飛ばし合って、戦ったんだよ。何とか倒したけど」と大まじめに言われたこともありました。ですが、腕は確かなようでした。

日本の武士は重いカブトをかぶるので、戦っていると、激しい運動でむち打ちのような症状が出てしまう。それを戦場で応急手当てをするために生まれた技術で、首を男物の和服の帯で引っ張って、スパーンと抜くんです。頚椎にかかる頭の重みを軽減するので、むちうちだけでなく、様々な病気の治療に有効でした。私も習いましたが、そのままの技術をマスターするのは私の体力では無理だったので、簡易的な方法を教えていただきました。

──就職活動は?

いくつかの企業を受けて、どこかから内定をもらっていたとは思うのですが、あまりよく覚えていないですね。自分の中で意欲が沸かないというか、私がそこで働いているというイメージが浮かばなかったんです。というのも、もうそこのころには、中国に行きたいと強く思うようになっていたからですけど。

──整体師の修業で目覚めたのですか?

いえいえ。決定的な出来事にあったのです。大学のそばの、駿河台の路上で友だちと待ち合わせをしていたときのことです。目に前にある、立ち食いそば屋さんに、すごい太って顔色が黒い50歳ぐらいのおじさんがすごい勢いで入っていって、ものの2、3分で走って出ていった。おそばをかき込んだんでしょうね。

たったそれだけのことですが、すごく鮮明に目に焼き付きました。働き盛りの人が、こんな食べ方をしていては病気になっちゃう、何とかしなきゃ! と、思いました。

▽日本で薬膳は学べない?

──そば屋さんの一件以来、問題意識が生まれたと。

そのころはバブル経済の真っただ中で、みんな忙しく仕事をしていましたよね。一方で、グルメブーム。テレビでは、女子大生がひたすら食べ歩くような番組が人気がありました。バブルって言われるけど、本当に私たち、豊かな時代にいるのかしら、猛スピードで仕事も遊びもこなすような日々が続いていくことが幸せなのかなあと、違和感を持ってしまいました。

じゃあ、自分は何ができるのか。食べ物でみんな元気になるような、新しい食生活の提案ができるかもしれないと、ふと思いまして、本を調べました。当時は、書店や図書館に並ぶのは、栄養学の本がほとんどです。料理のカロリーを数値化して、この値以下に抑えるというようなものが主流でした。

──確かに90年代は、今のような健康食ブームが来ていませんでしたからね。

そんなある日、神保町の三省堂書店で「薬膳」と書かれた本を見ました。珍しい本だと思いました。

薬膳。この言葉に、何かピンときた。

本を開いてみると、「どんな人の体にも合う食事は、ない」と書かれていて、しっくりときたんです。人によって、季節によって、食は変化してしかるべきだと。その考え方に、強い生命力を感じました。何というか、ものすごく命というものにぴったりくる自然さがある。それから、薬膳をやりたいと思うようになっていきました。

-薬膳の道に進むためにどうしたのですか?

内定をお断りして、日本で勉強できるところはないかを調べました。仕事をしながら、通えるような所を。今ならば、私が講師を務めている北京中医薬大日本分校のような学校が日本にもありますが、当時は全く見つからなかった。

それで、中国大使館に相談に行きました。劉さんという方が応対してくれた。劉さんは、北京の医大の出身で、事情に詳しい人だったんです。彼が言うには「日本では、薬膳は教えていないですよ。北京中医薬大に行けばいい。必要なら、紹介状を書いてあげるよ」。

それで、劉さんにお願いして、手続きを進めました。中国語はまったくしゃべれないですから、勉強もしました。結局、向こうに行くまで、ほとんど話せなかったけれど。

あの当時は、「どうしてまた、中国に留学するの? 何もないじゃん」と友人に聞かれましたね。なぜ、アメリカやイギリスじゃないのかと。すごく嫌だったのは「女はいいよな。駄目だったら、結婚という逃げ道があるから」と男の子に言われたことですね。悔しかったです。でも、私は周りにいろいろ言われても、中国に行かずにはいられなかった。で、あまり考えずに、とりあえず海を渡ってしまおうと思ったんですよ。

「4. 鉄格子と柳の庭園」へ続く