薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(12)

▽永生と錦生

──中国留学中、旅はしましたか?

留学3年目のとき、シルクロードを旅しました。唐代の涼州詞に「葡萄の美酒、夜光の杯」と出てくる夜光杯を見たくて、杯の産地の酒泉を訪れました。

そこで、「永生(よんしょん)」という名のカメラマンの男の子と出会い、仲良くなって2週間ぐらい、彼と旅をすることになりました。私が薬膳を勉強していると言うと、永生は、「僕の兄も薬膳を作っている。しかも、かなりのすご腕だ」と自慢げに話すのです。気になって、しばらくしてから、遼寧省の沈陽にある彼の家を訪ねました。

家に着くと、永生は「兄はアトリエにいる」と。え、アトリエで薬膳? と思いましたが、よく聞くと、近々、料理のコンテストがあるので、出場に向けて、場所を借りてアイデアを練っているんだとか。これは、すごいものが見られるかも知れないと思って胸が躍りました。

──アトリエに着いてみると、どうでしたか。

ドアを開けても、返事がありません。中に入ってみると、目つきの悪そうな男の人が、カボチャで鷹を彫っていました。私が明るく「こんにちは」と言っても、無愛想に返事するだけ。この人が、永生の兄の「錦生(じんしょん)」。人懐っこい弟の永生とは大違い。

でも、すごかったんですよ、鷹が。

獲物に飛び掛かる前のすごみある姿を、見事にとらえている。とてもカボチャでできてるとは思えない。「すごいですねえ」とほめても、「そう?」とか言うだけで、ろくに反応もない。錦生の第一印象はひどいものでしたが、でも、そのただならぬ雰囲気も含めて、ちょっとこの人、すごい…と感動もしました。

錦生、永生兄弟のお母さんはとても人懐っこくて、いい人でした。「何日でも、泊まっていきなさい」というし、ちょうど学校も休みだったので、お言葉に甘えて、しばらく滞在することにしました。

▽優勝すればスター

──沈陽の生活はどうでしたか。

錦生は、日々、顔を合わすうちに心を開いてくれるようになりました。彼は日常的には、薬膳レストランで働いていました。いろんな料理を知っていて、名物の薬膳鍋のレシピを教えてくれたり、仕事の帰りにいろんな食材を買って帰ってきては、家でごちそうをふるまってくれました。そのどれもがおいしかった。私が喜ぶと、錦生はうれしそうな顔をした。無愛想だけど、本当はいい人なんだなと分かってきました。

そうこうしているうちに、コンテストの日が近づいてきました。薬膳レストランからは、錦生のほかに5、6人が出場するとのことで、彼らを応援するため、一緒に列車に乗って、私もコンテスト会場に向かいました。錦生の仲間たちは、みんな料理が好きで、いい人たち。1週間ほど過ごしましたが、とても感情豊かで、リラックスした人たちでした。最後にお別れするときには、彼の男性上司が「阪口(ばんこう)、お別れがさびしいなぁ」と二入で泣いてしまったほど。

──コンテストの様子を教えてください。

正確には「料理技術大会」と言うのですが、「炒め物」「彫り物」「薬膳」などの部門に分かれていて、審査は、その表現に込められた薬膳の理解度、美しさ、味の観点で評価されます。体によくても、それだけでは当たり前、見た目や思想が備わっていないといけないのです。

大きな体育館で、中国全土から集まった腕に覚えのある若者たちが、火花を散らして工夫を凝らした料理を作り出す。圧巻でした。薬膳料理の現場は北京の薬膳レストラン「時珍宛」で十分見てきたと思っていたのですが、やはり大陸は広い。こんな料理があったのか、材料は何でできているのだろう、と驚きの連続でした。

ここでトップの優秀賞をとった料理人は、一躍スターのような扱いになり、収入もぐんとアップするそうです。必ず勝ち残ってやるという、出場者の本気が伝わってきました。

錦生もその1人。彼は、彫り物部門でエントリーしました。

アトリエで試行錯誤していた、かぼちゃで作った鷹を当日、時間内で彫り上げました。得意のカービングの腕を駆使して彫りぬいた鷹は、私にはすばらしかった。でも、入賞はしましたけどトップになれませんでした。 悔しそうな錦生の表情を覚えています。

「13. 薬膳学会での快挙」へ続く