2005.11.7
10月5日の深夜、陣痛が始まったとき、私が最初にしたのはおむすびをむすぶことでした。前夜、夫の母が作ってくれた栗おこわ。栗は足腰を強くするので、「なんだか力がつきそう」と思いながら温めなおし、暗いキッチンで作ったおむすび4つ。お産では「米の飯」が一番がんばりがきくいいます。夜が明けてから病院にいくと、陣痛は弱まってしまったものの、出血が多いのでこのまま入院してください。という医師の指示がありました。
私が入院したのは家から近い都内の病院。自然分娩が中心でベテランの助産師が多く、妊娠中の検診時も医師の診察の前後に毎回40分ほど助産師がカウンセリングをしてくれます。また粉ミルクを使わない母乳育児や新生児室のない母子同室も気に入って選んだのでした。
7日の朝、目覚めると7時ぐらいから15分おきに陣痛がはじまりました。夫と夫の母がやってきて、陣痛室へ移ります。この部屋には出産をスムーズに迎えるためのさまざまな小道具と助産師さんのケアがそろっています。特に私に効いたのは、「テニスボール」。陣痛が強くなってくると、いきみたい衝動にかられます。助産師さんが「陣痛の波が来たら奥さんのお尻に強くあてがって、いきみを逃がしてください」と夫に手渡していきました。意外なことにこれがとても有効!陣痛が来るたびに夫が「リラックス~」といながらお尻にテニスボールをあてがう姿は、とっても滑稽です。つづいてアロママッサージ、ひのき風呂が終わると赤ちゃんの心音を聞いていた助産師さんが「次、スクワットいきましょう」といいます。廊下に出て、お見舞い客が行きかう中を「うー」とか「ひー」とかいいながら公衆電話の台につかまってヒンズースクワットをくりかえします。こんな過酷な筋トレは中学のときテニス部の部活以来。
このスクワットが効いたのか、すぐ分娩室へ移って10分。3120gで女の子が誕生しました。トータル11時間ほどのお産。思ったほど苦しい思いをせず、また何より、自分がとりたい姿勢で、好きな人と、リラックスして産めたことがうれしいことでした。
立ち会ってくれた夫の母が言います。「私の時のお産と全然違う」と。いきみをうまくコントロールするアドバイスもなく、分娩は足を固定する分娩台だったといいます。私の母たちがお産を迎えたのは、家でのお産から病院へのお産へ急速に切り替わっていった時代でした。そしてそれは、医師主導の出産に変わっていった時期でもあります。赤ちゃんを産んだとき胸にひろがったのは、女性はどんな時代でも、どんな状況でもそれを受け入れて子供を生んできたのだという思いでした。戦争中だろうと、分娩台の上だろうと、ラマーズ呼吸法があろうとなかろうと・・・。私は今という時代にお産を迎えて、自分の納得のいく形で、心地よいと思う人たちに囲まれて出産ができました。それは、今につながる母たちのおかげなのだと思います。私を生んでくれた母親、その母親を生んだおばあちゃん、そしてその母親と、たくましく赤ちゃんを産んで育ててきたすべての女性に対する敬意で胸がいっぱいになりました。
ふと気づくと、生まれたての我が子は裸にバスタオルをまとった姿で、私の胸の上に乗せられ、もう1時間以上も力強くおっぱいをすすっています。「この食い意地はだれかに似ている・・・」
陣痛をこらえながら、キッチンでおむすびを結んでいた自分の姿がよぎります。
食べないと力が出ないですもんね。
分娩台の上から義母に向かって頼みます。「お母さん、今からおにぎり買って来てください。」