2008.9.12
,ある日の午後、恵比寿から、御徒町に向かう地下鉄に乗った。時間は3時ごろ。乗客はまばらで、夫と娘と3人で並んで座った。しばらくすると娘が「おなかがすいた~。」と言い出した。
あいにく、何も食べるものをもっていなかったので、「御徒町に着くまで待ってね」と言い聞かせた。
あいにく、何も食べるものをもっていなかったので、「御徒町に着くまで待ってね」と言い聞かせた。
眠いし、おなかがすくしで不機嫌な娘をひざに乗せて、気をそらせていると、隣に座っていた女性が、ガザガザと持っていた紙袋を開けたかと思うと中から、きつね色のおいしそうなラスクを二つ取り出して、こちらへ差し出した。
「 カステラのラスクよ。御徒町まで30分はかかるから、これがあれば、お腹が持つわね。」
娘は目を輝かせて、ラスクを受け取って、「ありがと~」とうれしそうに食べ始めた。
私と夫がお礼を言うと、「私もこの子より少し大きいぐらいの孫がいるのよ。」と話を始めた。今日は、友達の家に遊びに行った帰りだとのことだった。
地下鉄を降りるまでの時間を私とこの女性は、話をしながら過ごした。 子供の成長のことや、この方の息子さんの話などなど。
娘は満足して、ひざの上で頭を垂れて眠っている。
御徒町で私と彼女は、「では、さようなら。」「どうぞ、お気をつけて。」と別れた。
30分ほどのご縁。
懐がほろ暖かいような気分。
昔の人は、きっとこうやって、通りすがりの人や、お店で隣り合わせた人とよく話をしたんだろうなぁと想像できた。
かつては、人間関係が限られていたから、近所の人や、見ず知らずの人ともよく話をしたんだろう。私も、娘を持ったことで、友人と会う時間も減って、個人的な人間関係は限られたし、行動範囲も狭くなった。そのかわり、電車で隣り合わせた人と話そうなんて思わなかったのに、今は娘といると、見ず知らずの人とよく話をする。 制限され、狭められることで、「広がる」部分ってあるんだな。
「袖振り合うも多生の縁」 この言葉の意味が少し、わかった感じがする。