松本市市長菅谷昭さんへのインタビュー(1)

2014.9.28

2013年、阪口珠未と有志の生徒さん5名で、松本市市長 菅谷昭さんに、放射能対策について、インタビューをさせていただきました。
菅谷さんは、チェルノブイリ原発事故のときに、高度に汚染されたベラルーシ共和国のゴメリ州の州立がんセンターで、医師として、医療支援活動にあたられました。

福島原発の事故から、3年以上の月日が経ちました。みなさんは、「もう3年」と思われますか?

阪口は、「まだ3年」と考えています。

放射能の問題がまるで、何も無かったかのように私たちは過ごしているけれど、これでいいのかしら?
今も福島の高い放射線量の中で、生活している子ども達のことを考えると、「何か自分にできることはないかな。」と。

1年以上の前のインタビューではありますが、みなさまにインタビューの内容を公開します。
・これからもずっと続く放射能の影響をいかにとりのぞくか。

・また、これから、放射能だけでなく、災害や悪化する環境の中で、どんな環境でも、生きぬける「サバイバル力」のある子どもを育てるためには、どうしたらいいか、自分も含めて、もう一度、お母さんたちと一緒に考えていきたいです。

 


2013年3月8日  阪口珠未と有志の生徒さん5名で長野県松本市を訪問し、松本市長菅谷昭さんに放射能対策についてのインタビューをしました。

img140928d.jpg

阪口:本日はどうぞよろしくお願いいたします。 私は東京で薬膳料理教室をやっております。今日は私の生徒さんと放射能について、菅谷さんのお話を聞きたいということで、参りました。

菅谷市長:ようこそ、松本市においでくださいました。皆さん、大変精力的に活動されているようですね。

放射能の影響は、はじまったばかり

阪口:先ず、原発の事故があってから既に2年が経過していますが、菅谷さんは今の現状をどの様にお考えですか? 2年間経って東京の方では「だいぶ落ち着いて来たよね、危険はなくなってきたよね」と言う雰囲気で、お母さん達の放射能や原発に対しての意識も下がってきています。

菅谷:そうですね。 本当はたった2年なんですよ・・・。現在チェルノブイリは27年目に入っていますが、原子力災害は今だに継続、進行形状態なんですよね。 いずれ福島も同じ形になるだろうと思いますが・・・。要するに「もう2年」と言う人もいれば、「たった2年」と言う人もいて、私は「たった2年」だと思っています。

日本民族ってとっても寛大で素晴らしい民族だと思う反面、わぁーって何か起こると騒ぐけれども、しばらくすると、みんな忘れてしまう。 私自身、医者としてそれに診断名をつけ、「悪性反復性健忘症」としてるんですけどね。 原発の事故に関しても、やっぱり「健忘症」になってきているから、最近では「難治性」ってつけたくらいですよ。
だから皆さんもっと真剣に考えて、一人でも多くの人が動いて欲しいなって思っています。今回、皆さん方がそういう取り組みをされていると言う事で、私も応援させてもらっているんです。

阪口:放射能の専門家は沢山いらっしゃいますが、その怖さを肌で知っている方と言うのは少ないのではないでしょうか?
特に「低線量の被曝」は、見解がいろいろ違いますね。 長い目で見て、低線量の被曝が子供達にどんな影響を与え、どうやったらそれを防ぐ事が出来るのかと言う事を実感として解っている方が他にいらっしゃらない・・・。 だからこそ、チェルノブイリで子どもの治療にあたられた菅谷さんにお話をお聞きしたいと思った次第です。

菅谷:私は、大人も大事だけれども、せめて21世紀を背負う、日本の子供達の命とかこれから生まれてくる命に対して、真剣に守る責任を果たしていかなくてはと思っています。

タブー化しつつある「放射能問題」

阪口:今回、甲状腺ガンの報道がありましたね。

菅谷:実際に手術して、いわゆる「確定診断」として甲状腺ガンと診断された3人の子供達が出て、なおかつ今7人の方が、高い確率でガンの疑いがあると報道されていますよね。もっと早く情報を出して欲しいと思いますが、出すタイミングが遅れ遅れになっています。

だからすぐにでもその7人のお子さん達に手術をし、その結果をオープンにする。
そうして、事実を出していかないといけない事なんですよね。

今回の甲状腺ガンもこれが本当に被曝の影響なのかどうかって、残念ながらこれは正直言ってどうにも証明できないんです。 記者会見などで、事実を伝えていかないと、あいまいなままなので、福島の皆さんは非常に不安が募ってきてしまっている・・・。
相当お母さん、お父さん方は心配し始めてます。 ただ福島市の中や近隣の所で、大人同士、今回の福島の原発の問題を話すような雰囲気はもうなくなってきてしまっている・・・どういう事かと言いますと「タブー」なんですね。

阪口:そうなんですよね・・・そう聞いています。あまり良い言い方ではないですが、「非差別地域」の様な感じになってきてしまうんじゃないかと心配しています。

オープンに話ができないですよね。 何か怖いから蓋をしよう、触れないでおこうと言う感じで・・・。 薬膳の食事で放射能を防ぐ本を作ろうと考えていたのですが、出版には、苦慮しているのが現状です。 「放射能」と一言書くと皆が嫌がって、見ないようにする傾向がありますね。

img140928c.jpg

菅谷:首都圏でもそうですか?

阪口:はい、だから例えば、放射能対策の内容であったとしても、あえてその言葉を表に出さないようにしないといけないと、多くの出版社の編集者からアドバイスされました。今、お母さん達が「これだけやっとけば何とか子供を守れる」って事を情報として発信できれば救われるお母さんだって少なくはないと思うのですが、なかなかそれがストレートに伝わっていかないと言うか・・・ そう言う変な雰囲気が充満してしまっていて・・・本当に変な閉塞感を感じるんです。

菅谷:やっぱり、阪口さんの方にもそういう情報は入っているんですね。 私は事故後当初から「国策」として「子供だけでもとりあえず安全な地域に移した方が良いですよ」と申し上げてきました。 しかし、全然その様な意見は取り上げてくれませんでした。

やはり食の問題は一番大事な問題ですね。「放射性物質を体の中に取り込まない様にする」、つまり口からというのが一番の大きな経路ですから。もし、食べざるを得ない状況であれば、じゃあそれをどの様に扱えば良いのかと言う事・・・放射能に負けない体を作る薬膳のレシピの紹介。本当に大賛成、絶対やってください。それが今の皆様方の大事な役目ですよ。

阪口:はい。ありがとうございます!

低線量の放射能被曝でおこること

菅谷:チェルノブイリの子供達が、事故後どうなっているか。

当たり前のことですが、免疫力が下がってしまって、非常に感染にかかりやすい、風邪を引きやすいし、ぶり返しやすいとかもありますね。 また、疲れやすい、集中力がない、他様々な不定愁訴が出てくるんです。 でも、それをどうしてるかと言うと、まずは「規則正しい生活」を薦めています。
併せて、栄養のバランス、ビタミンやミネラルをしっかり摂ると言う様なごく普通の事です。
また、軽度の汚染地に住んでいる子供達は、放射性物質が体内に入っても速やかに排せつさせる為に、ペクチンみたいな物を使ってみなさいという様な事は言っています。

阪口:これはベラルーシの方が?又は国としてやっているのでしょうか?

菅谷:国として子供達にその様にやっていますね。去年の夏向こうに行ってきましたが、
子供達はやっぱり相変わらず、抵抗力が低下しています。舞踊のレッスンをしてても疲れやすくて、また授業も短縮しているんですよ。低濃度汚染地ですから。福島市の原発寄りの地域はチェルノブイリと同じ位の汚染度なんですよ。そういう所に子供さんがいること自身、考えた方がいいんじゃないかなぁ。
放射性物質は目には見えないし、においも味もないから、だんだん忘れていっちゃって、これが後でいろんな事を起こさなきゃいいなぁって。

安全なところに住める、移住権って権利はあっても、子どもたちは、自分たちで言えないじゃないですか。せめて放射線の影響を少しでも低減させる方策って言うのを考えてあげなきゃいけない。

阪口:あの事故から26年たってもそんな状態なんですね。

菅谷:私は阪口さんからいただいた中国の放射能を防ぐ食材や漢方薬の研究の資料をみせてもらって、ある意味科学的だと思ったんです。だからチェルノブイリのときより、一歩進んだ形の事をやっていただきたいですね。 しかも、チェルノブイリの場合は、ずっと遅れての対応ですから、阪口さんのグループは、とても早い対応です。
私としてもとてもありがたいと思っています。

阪口:チェルノブイリの場合は甲状腺ガンが出始めるまでの間というのは、低線量の放射能被曝を防ぐ為の生活はできなかったのでしょうか?

菅谷:できなかったですね。 だってうんと貧しいもの、それはもう本当に気の毒な位ですよ。
特に汚染の村々、汚染地なんて、ちょうど旧ソ連が崩壊したままの状態ですからね。 日本は、チェルノブイリに比べれば、食事も選びやすい環境です。今回皆さんの様に早い時期に、せめてこれだけはやったらどうですかという提示はすごく大事だと思いますよ。

img140928a.jpg

3.11以降、コミュニティが崩壊している

菅谷:実は、この間福島にお住まいの方がご夫婦で来られました。「ガンが出たから大変でしょ?」と言う話になりました。 自主避難で、お母さんと中学3年生のお嬢さんが、入試のために松本市に来てます。お父さんは福島でばらばらの生活です。
中学生の高学年や高校生の女子の会話で、大変なことになっているんです。
「私達はもう国から捨てられちゃったんだよね」と・・・言っていると。
こういう表現でびっくりしました。
少し前になりますが、やっぱり中学生とか高校生の子供達の会話で「もう私達は被曝しちゃったんだよね、だからもう結婚できないよね。 それに子供も産めないよね」と言うことを言っているとのことでした。

それを聞き、私は本当に大変な事になってしまったと思いました。
とにかく、この子供達の肉体的な健康維持はもちろん、早くメンタルな部分を何とかしないといけないと思い、国に対して声をあげました。
でも、きちんとやらないですね・・・。 21世紀を背負ってくれる子供達に対してこんな対応をするというのは、これはもう憤りを越して唖然としてしまいました。

阪口:そういう話は噂には聞いてますが、表に出てこないですね。ケアが必要なことという風に、きちんと認識されていないと思います。

菅谷:本当に原子力災害の残念な事は、一つは地域の経済とか産業が全部壊滅してしまう事です。 二つ目は、そこのコミュニティーが壊れてバラバラになってしまう事。私がお聞きした福島の例ですが、自主避難をしていた人が、故郷のお家にたまに子どもを連れて戻ると、町の皆さんがこう言うそうです。
例えば、“阪口さん、何よ、あなた逃げたの”って。
もうね、怒号だそうです。 かつてはあんなに親しくしていた人達だったのに、全部崩れてしまった。だからもうコミュニティーはなくなってしまいますね。

三つ目は、「家族の崩壊」です。
松本に来ている方で、何人か、もう離婚しているのです。小さなお子さんを連れ、来てるじゃないですか。お父さんは仕事の関係で福島に残ってる。で、当初の頃はお父さんはこっちへくるんですが、その後お父さんは向こうにいるうちに放射能の影響って見えないから、忘れちゃうんですよね。そして、奥さんや子供達に帰って来いと言うわけです。奥さんは当然帰れないと言って、結局は話がこじれちゃって。私はこっちに残るって・・・そういう時に女性ってわかるんですよね、お父さんってこういう人だったって。



松本市ホームページ⇒
【インタビュー2へ続く】