薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(15)

▽誰が継ぐか?

──お父様の死の衝撃は、阪口さんとってとても大きかったでしょうね。

私にとってもそうですが、ここから家族にとって嵐のような日々が始まりました。
 まず、近所でうわさが立ちました。郵便局長が亡くなるということは、汚職のようなことがあったんだろうと見られたんですよ。父が1億円近い横領をしたという流言を耳にしたことがありましたが、実際にはそんなことはない。私たちは悲しみにくれながらも、故人の誇りを守るため、その根も葉もないうわさを打ち消すことに奔走しなければならなかった。「横領した」と言われ続けることに、私たち一家は我慢ができなかったんです。

──どのようにうわさを消そうとしたのですか。

父の潔白を証明する方法が、一つありました。それは、家族が局長職を継ぐことです。なぜなら、もし問題があって辞めさせられたなら、代々世襲で受け継がれた特定郵便局長とは言っても、家族が継ぐことは許されないからです。家族の誰かが、もし局長を継ぐことができれば、汚職の事実はないことを世に知らせることができる。一家の長である祖父は、そう考え、家族は同意しました。

問題は、局長を誰が引き受けるか、です。家族会議で祖父は私に「郵便局長をやってくれ」と言いました。私には弟がいるのですが、まだ大学在学中でした。「彼が卒業するまでの間、つなぎとしてやってくれ」と言われました。

私は、そんな馬鹿なこと、と思いました。

 弟が卒業するまで、あと2年ある。2年間は局長をやって、弟が帰ってきたら「ご苦労」のひと言で終わって、別の生き方を探せって言うの? 私が女だから、そんなに軽く扱われるの? と頭が混乱しました。

すると、薬屋をしていた母が「この子の2年間はどうなるんですか。そんな身代わりみたいな、残酷な」と反対し、ついには「私がやります」と言いました。祖父は「引き受けてくれてありがとう」と言いました。

▽考える時間はなかった

──局長にお母さんが手を挙げたことを、どう思いましたか?

かわいそうだと思いました。彼女は、群馬県から嫁いできて、たった一人で人脈を作って、小さな薬屋を営んできた。やがて、国道沿いに、それまでよりは大きな店舗を作った。まだ、大手チェーンが薬の販売を支配する時代じゃなかったので、うまくいきました。
朝8時から夜10時まで働いて、がんばってきましたが、その積み上げてきたキャリアをすべて捨てることになった。それは家族の名誉のためであり、私の身代わりになるためでもあった。ふびんでした。

──薬屋は閉業したのですか?

その選択肢もあったでしょう。でも、祖父は「じゃあ、珠未は薬局を継いでくれるか」と言いました。母は「やりたくなかったら、やらなくてもいいんだよ」と言ってくれました。

私は「やるよ」と言いました。

 私は、家族のため、父のために、ここに残って頑張らなきゃ、と思ったので。もちろん、中国に留学して、やがては東京か大阪に行って、女性としての仕事のキャリアを積んでいきたいとは思っていましたけど、伝統的な地方の家に生まれた者として、この役割を受け入れないといけない。最後に父と接したのに、何もできなかったという自分を責める気持ちも大きかった。
 考える時間はなかったんです。