薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(6)

▽国費留学への道

──留学当時の中国の雰囲気は?

生き馬の目を抜くような勢いの今の中国とは、かなり雰囲気は違っていて、のどかでしたよ。天安門事件から2年後のことで、鄧小平の開放政策が進んでいましたが、まだまだ「お金儲け主義」がはびこっていなかったと思います。それよりも人間関係を大事にする素朴な雰囲気が残っていて、私の生活もそれで助けられました。先生からも、寮の人からも、街の人も大切にしてもらえた。人を頼りにすると、任せとけ、という感じで、いろいろ動いてくれました。

──漢方薬は日常的にのんでいましたか。

風邪を引くと、大学の問診部に行きます。脈を取ってもらい、漢方薬をもらってのんでいました。ちなみに、問診部のとなりには鍼灸部があり、ここでハリをうってもらうこともできます。1回200円弱と、日本の相場からすると、ケタが違うほど格安で。

向こうの人は、日常的に漢方薬をよくのみますね。日本では、体調が悪くなると抗生物質に頼りがちですが、中国の人は西洋医学のいわゆる新薬に対して慎重な感じがしました。

──中国での語学留学はどのぐらいやったんですか?

1年間。2年目には専門の勉強に入りましたが、3年目に上がる前に、文部省(当時)の国費留学生の奨学金制度を狙ってみました。もうそろそろ親にも迷惑を掛けられないと思っていたので、学費をタダにできないかなと考えたわけです。

ただ、条件をクリアするには、ある程度の中国語しゃべれないといけないと説明を受けました。1年目のときに受けた語学試験でまあまあのスコアが出たので、それを示して、薬膳を勉強したいと志願書に書きました。多分「薬膳という考え方を日本の中で生かせる手法を学んで、帰国後に広めたい」というようなことを書いた記憶があります。

▽「薬膳で留学」皆無の時代

──まだ薬膳という言葉がほとんどの日本人が知らない時代だったでしょうから、担当官へのプレゼンも大変だったのでは。

そうですね。日本で古くからある「おばあちゃんの知恵」のようなものが、今の日本にはなくなってしまったのではないか、もし私が「食事でカラダを癒す」というコンセプトをきちんと学んで日本に持ち帰れば、それは必ず社会全体、みんなのためになることだ、と書きましたね。

──聞くだけでも、情熱が込められた志願書ですね。

面接官の方は、ある日本人の漢方学者の名前を挙げて「その人の本は読みましたか?」と聞きました。薬膳とは関係ない人だったので、私は「読んでいません」と答えました。はぁ、という表情をされてましたね。途中から「中国の生活はどうですか」とか、あいまいな質問ばかりになってしまい、これは落ちたかなと思いました。

でも、おそらく薬膳で留学するような人は皆無なのだろうと、面接を受けていて感じたので、あきらめずに、こちらからその面接官の方に薬膳の基本的な考え方、いかに今の日本人に必要なのかを伝えてみることにしました。途中から、ほぅ、なるほどって感じで耳を傾けられていました。

それからしばらくして、結果が来ました。合格で、本当にありがたいな、と思いました。親には、これ以上学費は出せないと言われていましたので。一時はとりあえず帰国して働いて学費を貯めてから再び留学しようかと思っていましたが、奨学金のおかげで勉強を続けることができました。