薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(11) ▽老中医の処方 ──北京留学中の病院での実習のことを教えてください。 私が通っていた北京中医薬大には「東直門病院」という付属病院がありました。最後の1年間の午前中は、ここで実習しました。私は、主に婦人科とがんの病棟で学びました。 婦人科では、生理不順のような日常的に多くの人に起こるものから、子宮内膜症、子宮筋腫のような重い病気、不妊治療までを漢方薬で治す現場を見ました。女性の病気は、ピルをのむぐらいしかないとか、西洋医学でのアプローチに限界があるものが多いんです。しかし、漢方ならば適応範囲が広く、効果も期待できることが、実習を通して分かってきました。生理痛ならば、人の差はありますが、平均的には3カ月ぐらいで確かな効果が出てきます。 ──婦人科で指導にあたった先生は? 王子兪という名前の方で、「老中医」と呼ばれるベテランの医師でした。中国では、医師は普通、50-60代で病院を退職するんですが、特別に腕がよかったり、独自の治療法を編み出した人は「老中医」と呼ばれ、再雇用されます。王先生は週2回だけ出勤されて、特別の問診をしていました。名医の評判が高かったので、患者さんの中には、湖北省など地方からの人も多かったし、日本人駐在員の奥様もいました。 王先生が得意としたのは、子宮内膜症と不妊の治療。診察は、ぱっと患者の表情を見て、いくつかの質問をすると、舌を診たり、脈を取ったりします。他の医師に比べると、やることは簡素です。 それに処方もシンプル。王先生にいただいたアドバイスは、「この人はどのタイプなのかを見極める」ということ。女性の体は大別して、4、5種類に分かれます。彼には、いくつかの基本型のような処方があり、相手のタイプを判断し、その処方をベースに、患者ごとに多少の足し引きをしてお薬を出します。一方、習いたての医師の場合は、自信がないから、あれもこれもと処方をして、気が付けば20種類も薬を出していることがある。そのぐらい、漢方の処方は難しいということでもあるのですが、王先生の場合は、多くても12種類ぐらいまででしたね。 ▽ぜいたくながん病棟 ──王先生について勉強したのは、貴重な経験でしたか。 彼が得意としたのは「気」と「血」のめぐりをよくすること。例えば、冷えがある場合、体が暖まるような即効性の処方を好む中医師は多いですが、王先生は、人にもともと備わっている気血のめぐりをよくすることに務める。まず、体を整えるわけです。それが確実に体にいい影響を及ぼして、子宮の不調からくる冷えを緩和していきます。 先生の最後のレッスンのとき、彼の論文をもらいました。それは子宮筋腫を直すための処方の要訣が書かれたものでした。そのときは、読んでもよく分からなかったです。なぜ、もっと直接効きそうな強い薬を使わないのかしら?と遠回りに感じたものです。 後に、だんだんと臨床の経験を積むようになり、論文を読んでみると、なるほどなと感心しました。体の様子を全体的にとらえて、体を整えること、副作用がでないことなど、考慮して、総合的なバランスを重視されていたんだなあと、今になると分かります。 ──がん病棟での経験は? 中国のがん治療で驚いたのは、「中西医結合」を当たり前のこととして実践していたことでした。日本では、がん治療に対する考え方は、西洋医学と東洋医学の専門家で相いれないことも多いと聞きますが、中国では放射線治療をやりながら、漢方薬を処方するということが普通にある。 西洋医学によるがん治療は即効性の面ですぐれている半面、体の免疫を下げてしまう。そこで、体力を温存しながら、がんと闘うために、すべての患者に漢方薬が必要だと病棟では考えられていました。これは、進んでいるなあ、ぜひ日本に持ち込みたいと思いました。 中西医結合は、がんだけでなく、慢性病で長く闘病生活をしている患者にも適用されていました。漢方薬を併用すると、じんわりと基礎的な体の力が上がり、維持できる。緩やかに調子がいいので、病棟内の雰囲気もあまり切羽詰まった感じなく、のびのびとしていました。また、内臓疾患では、中国では鍼灸師が治療に大きな役割を果たします。そういう多方面のケアを受けられる、選択肢があるのは、とてもぜいたくなことですよね。 「12. 旅先の凄腕料理師」へ続く 1:孤独を救った朝弁当 2:意外な提案 3:そば屋の”事件” 4:鉄格子と柳の庭園 5:まずメニューを覚える 6:国費留学への道 7:数値化しない医術 8:6本の指 9:素っ気ない回答 10:心の機微の大切さ 11:「老中医」に師事 12:旅先の凄腕料理師 13:薬膳学会での快挙 14:留学を終えて 15:父の死の衝撃 16:薬局を継ぐ 17:カジュアルな漢方薬店へ 18:漢方薬店での試行錯誤 19:漢方キッチンの誕生 20:「ゼロ」に戻れる場所を 21:新産業創造プログラム