1:孤独を救った朝弁当 2:意外な提案 3:そば屋の”事件” 4:鉄格子と柳の庭園 5:まずメニューを覚える 6:国費留学への道 7:数値化しない医術 8:6本の指 9:素っ気ない回答 10:心の機微の大切さ 11:「老中医」に師事 12:旅先の凄腕料理師 13:薬膳学会での快挙 14:留学を終えて 15:父の死の衝撃 16:薬局を継ぐ 17:カジュアルな漢方薬店へ 18:漢方薬店での試行錯誤 19:漢方キッチンの誕生 20:「ゼロ」に戻れる場所を 21:新産業創造プログラム 薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(21) ▽プレゼン ──兵庫県中小企業振興公社での新産業創造プログラムの選考の経過を教えてください。 書類審査を通った20組ぐらいの人のプレゼン大会が神戸市でありました。私と同世代の20代の人も何人 かい て、廃材を使って家具を作るビジネスをしようとしていたカップルもいました。 選考はコンペではなく、出資に値すると認められれば合格とされるという説明でした。もちろん経営コンサ ルタ ントの投石先生も来てくれて、直前に「落ち着いてしゃべれば大丈夫です。それから、時間制限があるから、その中でうまく伝えられるよう に」とアドバイスを下さりました。 「私は薬膳の喫茶店をやりたいです。これはこれまでの日本になかった新しい業態で、なおかつ新しい文化 を創るものです…」。私はプレゼンを始 めました。自分の話には、ちゃんと熱が入っている、大丈夫、資金をもらえる、と言い聞かせて、がんばりました。 ──審査員はどのような人だったんですか。 振興公社の人や銀行関係者でした。 「事業計画書を見るとね、半年で軌道に乗ると書いてありますけど、なかなかそんなもんじゃないでしょ う」 厳しい質問が飛びました。「お客さんの集客はどう考えているんですか。新規事業で半年で軌道にな んて…」 私は心を落ち着けて答えました。「すでに顧客はあるんです」 そう、このときのために私は薬店でがんばってきたんです。「薬屋という既設店舗で、すでに顧客がありま す。 私のお客さんで、その方たちの来店が見込めます。そこが私の強みです」 加えて言いました。「このビジネスはとても新しい業態で、高度な専門知識を必要とします。1日、2日か じっ ただけで到底できるものでないので、他に簡単にまねができるものではないです」 数日後、郵送で結果が届きました。「アライアンスに通りました」という、そっけない通知でした。私が考えて いたことがきちんと伝えられたことが大きな自信になりました。 それと半分は投石先生の力。電話をすると「そうですか、通るとは思っていたけど、よかったですね。これが出ないとビジネスは始まりませ んからねえ」。ほっとしたようでした。 ▽姫路を選ぶ ──資金調達のめどがついたところで、次はどのように薬膳喫茶を開業の準備を進めていったのですか? 最も悩んだのは、店舗をどこに構えるか、ということでした。大阪や神戸ほどの都会なら、イメージしてき たよ うな、薬膳茶とデザートに特化したお店を作ることができると言われました。私もそうしたかった。でも、できない理由があったんです。 それは薬店のため、家のため、兵庫県西播地域を離れられないという事情です。薬店を放り出して、薬膳喫 茶だ けに力を注ぐわけにはいきません。店の構想については、家長の祖父にも、特定郵便局を営んでいた母にも話していましたが、誰も私が薬店を たたむとは思ってもいません。また、せっかく私を信頼して相談に来てくれる薬店のお客さんが増えてきたのに、放り出すのは無責任だと 認識 していました。 ──結局、どうしたのですか。 そこで、実家から最も近い都会ということで、姫路市を選ぶことになりました。ただ、姫路で開業となると、神戸や大阪とは街の規模もカ ラーが 異なるので、温めてきたコンセプトを変更せざるを得ません。 薬膳を食べることを目的とするお客だけではなく、ビジネスマンなど、より広い層を意識しなくてはならず、デザートに加えて点心などの食、ランチメニューを充実させようと考えました。店舗はJR姫路駅に近い所に借りることを決め、什器を仕入れ、 大急ぎで準備を進めていきました。 「1.孤独を救った朝弁当」へ戻る