薬膳を語る 阪口珠未ロングインタビュー(16)

▽決心

──お父さんの郵便局長をお母さんが継ぎ、お母さんの薬屋を長女の阪口さんが継ぐということになりました。

母と私がこのころにやったのは、父はなぜ死んだんだろう、という原因探しでした。父は、亡くなる日の夕方、どこかへ行ったのです。きっと、父を追い詰めた「犯人」がいるだはずだと。そでも、最終的には分からなかった。調べているうちに、いろいろわかってくると、父の状況を知りながら、手を差し伸べてくれなかった周囲の人へのうらみも沸いてきました。

本当につらい日々が続きました。
 でも、あるとき、ふと思いました。これだったんだ、あのそば屋の事件の意味はと。

──どういうことですか。

大学4年のとき、顔色の悪い、働き盛りの人が、立ち食いそばをかき入れて、あわただしく出て行くのを見たとき、日本人の食生活をよくしたいと思って、私は中国に留学しました。そして、あのそば屋のおじさんと同じ一人が、自分の父だったことが分かったんです。

父は、家業として祖父から継いだ郵便局長が嫌で嫌で仕方がなかった。特定郵便局の家に生まれて、逃れられない運命として、局長になった。「本当は、しいたけ作りをやってみたいんだ」と、家族に漏らしたこともあったけど、認められなかった。息苦しくて、耐えられなかったでしょう。自分らしい生き方を試すことができないままに死んでしまうのは、とても悲しいことだと思いました。

この状況をうらむのはやめようと思いました。犯人を探すのも、やめにしよう。そして、お父さんのような人を、もう一人でも出すまい、誰かが自分らしく生きようとするとき、それを助けられる人になろう。そのために、私は生きていこうと決心しました。

▽「お嫁に行きなさい」

──お母さんの薬屋を引き継ぐのは、大変でしたか。

逃げ出したくなるほど、きつかったです。苦手なお金の計算をしなくてはならないし、営業時間が長いこともつらかった。
 自分は漢方を勉強してきて、それを活かしたかった。しかし、兵庫県の地方の薬屋で、お客さんが求めるのは解熱剤とか風邪薬、たばこにオムツ。お茶する代わりに栄養ドリンクを買って、長話をする人も多かったです。

そういう日々を続けると、自分らしく生きていくのは無理だなと思い始めました。しかも、母の代からいるスタッフの人とはうまく信頼関係が築けない。焦りはあるのに、どうしていいか分からない。このままなら、私の良さがどんどん消えてしまうと感じました。

──つらい日々ですね。

しかも、大量の在庫が残っていた。母は自分で売り切る自信があったので、ドリンク類を50ケース単位で仕入れます。鉄道の貨車を倉庫として使っていましたが、倉庫の1/3ぐらいはドリンクがうず高く積まれていました。
でも、当然ながら新人の私には、売る力がない。そして、仕入れは後払いなので、私が引き継いでから請求書が来る。
 もう駄目だ、と思って、地元で一番大きな漢方薬局の社長に相談に行きました。

 「これからは、自分が得意な漢方をメインでやっていきたいんです」。私が話すと、その社長はこう言いました。
 「悪いこと言わないから、お母さんの後を継ぐとか、そういうことを考えないで、早くお嫁にいきなさい」

もう、あまりに悔しくて、その場で泣いてしまいました。28歳の女の子に、俺と同じようなことはできるわけないだろ、と言われたようで。向こうは、感動して泣いたと勘違いしたようで、さらに「女性のキャリアは結婚で成就する。子どもを産んだら、そんなこと、忘れるよ」と言いました。

 もう2度と、同業者に相談なんかするもんか、と思いました。