つながり

2010.7.3

 im100703
新橋で山手線に乗っると、すぐ近くからお母さんが子どもを叱る声が聞こえました。まだ20代ごろの女性のようです。「あんたが、ぐずぐずしているから遅れちゃったじゃないのよ。どうしてくれるのよ!」と小学生ぐらいの女の子に怒鳴っています。女の子とは、下を向いてうなだれるばかり。お母さんの叱り声は続きます。「あなたはぐぐずなんだから・・・・」
 しばらくして聴くに耐えかねた初老の男性が「もういいかげんにしなさい。君はそれでも母親か!?」と言ったのでした。すると「ほら!あんたのせいで、お母さんが怒られちゃったじゃないの!」
 聞いていて、胸が締め付けられるように痛くなりました。
 子どももちろん、このお母さん、なんて一人ぼっちなんだろう。
 品川に電車が着くと、親子は降りていきました。
私は娘を迎えに保育園に行きました。門をくぐろうとすると、掲示板に張り紙がしてあります。
 
「近隣の方から、カエルの鳴き声がうるさいとの声が寄せられました。お庭のイネのプランターを奥のほうに移します。ご了承ください。」
 娘が通っている保育園は住宅地の中にあります。園庭も大きくはありませんが、できるだけ自然に触れさせてあげたいとの方針で、発砲スチロールのケースを4.5個並べて、水を張り、その中に子どもたちが一株づつ、田植えをしています。少しづつ育ってきて、この秋に収穫するようです。
張り紙を見て、ひとりぼっちのお母さんが、たくさんいるわけがわかった気がしました。
「子どもは見守られて育つ。」子育て中に何度も耳にした言葉です。でも、見守られて育つのは、子どもだけではないと思うのです。
 人は誰も独りでで生まれて、独りで死んでいく孤独な存在。
 そしてその孤独に向き合い、自分が何者か、そしてどうやって生きていくかを問うのは、自分にしかできないけれど、一人ぼっちで「孤独と向き合う」ことができるほど強い人間ってどれくらいいるのでしょう。
 少なくとも私はそんなときこそ、だれかとのつながりが必要でした。
 
 子どもがお母さんに見守られて、初めて新しいことにチャレンジしたり、冒険したりできるように、
母親も、他者とのつながりの中で、見守られ、育まれて、母親としても人間としても成長していけるのだと思います。
 私は仕事で、体や心の転機を迎えるような方と関わらせていただくことが多くあります。神だったり、友人だったり、家族だったり、自分自身だったり、そのつながりを感じることができた時、体調も良くなっていかれます。
 
 「大人」が見守られ、育まれ、成長していけるためのお手伝いを、私もしていきたいと、心から思っています。